パラリンピックの歴史

パラリンピックの歴史

パラリンピックの歴史について簡単に振り返ります。

 

パラリンピックの原点は負傷した兵士のリハビリとしてスポーツを活用したことでした。

 

パラリンピックの父と言われるのはルードヴィッヒ・グットマン博士。ドイツ出身の神経学者でした。

 

彼は負傷した兵士のリハビリの一環としてスポーツを取り入れ、1948年にイギリスのストーク・マンデビル病院でストーク・マンデビル大会を開催。

 

1948年のロンドンオリンピック開会式と同じ日に開催されましたが、当時はオリンピックと連動したものではありませんでした。

 

1952年にはオランダの選手も参加することで国際大会になります。

 

そして1960年にはローマオリンピックと同じ年に同じ場所で国際ストーク・マンデビル車椅子競技大会という名称で開催。

 

当時はパラリンピックという呼び名はありませんでしたが、後に遡ってこのローマ大会が第1回のパラリンピックと認定されることとなります。

 

 

初めてパラリンピックという名称が使用されたのが4年後の東京オリンピックに合わせて開かれた第2回パラリンピック。

 

「対まひ者」を意味するParaplegiaとOlympicを掛け合わせた造語です。

 

日本は53人の選手が出場し、計10個のメダルを獲得。

 

これを契機に、翌1965年には日本身体障害者スポーツ協会が設立されました。

 

 

第3回大会の開催地はイスラエルのテルアビブ。

 

1968年はメキシコシティーオリンピックの年でしたが、メキシコシティーではパラリンピックの開催が困難だったためテルアビブで開催されました。

 

 

第4回大会は1972年のミュンヘンオリンピックの前に西ドイツのハイデルベルクで開催されます。

 

ローマオリンピックと東京オリンピックの男子マラソンで金メダルを取った後、自動車事故で下半身不随になったアベベ・ビキラが車椅子アーチェリーに出場しています。

 

 

第5回大会は1976年モントリオールオリンピックと合わせてカナダのトロントで開かれます。

 

前回大会までは車いすの選手のための大会でしたが、この大会から切断の選手や視覚障がいの選手の参加も認められました。

 

視覚障がいの選手のための競技であるゴールボールがこの大会から正式競技として採用されています。

 

 

第6回大会は1980年モスクワオリンピックの年にオランダのアーネムで開催。

 

モスクワオリンピックをボイコットした西側諸国もアーネムパラリンピックには参加。

 

この大会は初めて脳性まひの選手が参加した大会として知られています。

 

 

第7回大会は1984年のロサンゼルスオリンピックの年にニューヨークとイギリスのストーク・マンデビルで分散開催。

 

元々はニューヨークとイリノイ州で開催される予定でしたが、半年前になってイリノイ州が財政難のため開催が不可能になったことでイギリス、アイルズベリーのストークマンデビル病院で代替開催されることになりました。

 

車いすの選手はストーク・マンデビル、それ以外の選手はニューヨークで競技を行います。

 

ニューヨークでの開会式はロナルド・レーガン大統領、イギリスでの開会式にはチャールズ皇太子がそれぞれ列席しました。

 

この大会からボッチャ、自転車競技、馬術、7人制サッカーが正式競技になりました。

 

 

第8回大会は1988年のソウル大会。この大会から東京パラリンピック以来24年ぶりにオリンピックと同じ開催都市で開かれるようになります。

 

オリンピックと同じ競技会場で競技が実施され、聖火リレーもこの大会から行われます。

 

正式名称が「パラリンピック」となったのもこの大会からです。

 

この大会から柔道が正式競技となり、日本チームはメダルを量産。

 

今大会日本選手団は46個のメダルを獲得するメダルラッシュとなりました。

 

 

第9回大会は1992年のバルセロナ大会。

 

この大会では初めてオリンピックとパラリンピックの両方でメダルを獲得する選手が誕生します。

 

その選手はハンガリーのパール・セカレシュ。

 

1988年ソウルオリンピックのフェンシング男子フルーレ団体で銅メダルを獲得した後、1991年に交通事故に遭います。

 

その翌年の1992年バルセロナパラリンピックのフルーレ個人で金メダルを獲得しました。

 

 

第10回大会は1996年のアトランタ大会。

 

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の墓にある永遠の炎から聖火が採火されました。

 

この大会から知的障がいの選手の参加が認められるようになります。

 

 

第11回大会は2000年のシドニー大会。

 

この大会からセーリングと車いすラグビーが正式競技となります。

 

この大会では知的障がいクラスで不正事件が発覚。

 

スペインが知的障がい者バスケットボールチームに健常者選手を潜り込ませて金メダルを獲得していたことが露見し、メダルは剥奪されます。

 

そしてスペイン障害者スポーツ連盟の会長も辞任しました。

 

この不正事件の影響は大きく、今後のパラリンピックでも知的障がい競技の実施が凍結される事態になります。

 

 

第12回大会は2004年のアテネ大会。

 

女子柔道、女子シッティングバレーボールなど女子選手の出場種目が増えた大会です。

 

国枝慎吾が初めて金メダルを獲得した大会でもあり、車いすテニスダブルスで金メダルを獲得。

 

また競泳の成田真由美は大会最多となる金メダル7個、銅メダル1個を獲得しました。

 

 

第13回大会は2008年の北京大会。

 

この大会からオリンピックとパラリンピックの運営が同一の組織委員会により一体化されることとなりました。

 

この大会からボートが新競技に加わります。

 

パラスポーツの認知度が上がり、競技力も向上。この大会では279もの世界新記録が誕生しました。

 

 

第14回大会は2012年のロンドン大会。

 

シドニー大会での知的障がいクラスの不正事件により凍結されていた知的障がいクラスの参加が再開されました。

 

北朝鮮など15の国と地域が初出場。

 

国枝慎吾が車いすテニスシングルスで連覇を達成しました。

 

 

第15回大会は2016年のリオデジャネイロ大会。

 

この大会からカヌーとトライアスロンが新競技に加わりました。

 

また難民選手団もこの大会から始めて参加することとなりました。

 

 

 

 

 

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