日本代表W杯予選激闘の歴史2 ドーハの悲劇 1994年アメリカW杯予選

日本代表W杯予選激闘の歴史2 ドーハの悲劇 1994年アメリカW杯予選

これまでの日本代表のW杯予選の歴史を振り返るシリーズ。

 

第2回目は1994年アメリカW杯アジア予選、通称ドーハの悲劇を振り返っていきます。

 

日本は1992年アジアカップで初優勝し、1993年にJリーグが発足。

 

サッカーが社会的なブームになった状況で満を持してW杯初出場を取りにいった予選でした。

 

レギュレーションはまず1次予選が6グループに分かれ、各組1位が最終予選に進出。

 

6カ国で行われる最終予選で上位2カ国が本大会出場というものでした。

 

 

1次リーグはUAE、タイ、バングラデシュ、スリランカと同組。

 

ここを7勝1分、得失点差+26と無敗で勝ち上がります。

 

そしてカタール・ドーハで行われた集中開催の最終予選。

 

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初戦のサウジアラビア戦をスコアレスドローで終えると、2戦目のイランに1−2で敗れ、早くもこの時点でグループ最下位と崖っぷちまで追い込まれます。

 

しかしイラン戦で途中出場してゴールを決めた中山雅史をスタメンに抜擢すると、北朝鮮に3−0で快勝します。

 

そして4戦目は韓国戦。

 

これまでの歴史で一度もW杯予選で勝てなかった韓国。

 

そんな韓国相手に勝たなければ自力突破が消滅するというかなり厳しいシチュエーションでした。

 

そんな中でエース、三浦知良の決勝点で1−0で勝利。

 

これでグループ首位に浮上し、最終戦のイラク戦で勝てば出場決定、引き分けでも韓国とサウジアラビアの結果次第で出場が決まるという有利な状況となりました。

 

 

日本対イラク、サウジアラビア対イラン、韓国対北朝鮮が同時キックオフで行われる運命の最終戦。

 

前半開始5分に早速三浦知良が先制点を奪取して1−0のリードで折り返します。

 

他会場の前半はサウジアラビア2−1 イラン、韓国0−0北朝鮮で、このスコアのままだと日本とサウジアラビアが勝ち抜けとなります。

 

しかし後半に入るとイラクのサイド攻撃が活発になり、49分にはオムラム・サルマンがヘディングシュートでネットを揺らしましたがオフサイド、そして55分にアーメド・ラディがセンタリングをゴールへ流しこみ、1−1となります。

 

他会場ではサウジアラビアと韓国が得点を重ねており、日本は勝たなければ予選敗退という状況となりました。

 

イラクが攻勢を強める中、必死に守っていた日本ですが、逆に日本は69分にラモス瑠偉のスルーパスから中山雅史がゴールを決めて、2−1と勝ち越しに成功します。

 

 

そして運命のロスタイム。

 

89分50秒、ラモスのパスをカットしたイラクは自陣からカウンターアタックを仕掛け、コーナーキックのチャンスを得ます。

 

ここでキッカーのライス・フセイン=シハーブは素早くショートコーナーを開始。意表を突かれた日本はセンタリングを上げられ、オムラム・サルマンがヘディングシュート。

 

ボールは、見上げるGK松永成立の頭上を放物線を描いて越えゴールに吸い込まれ、同点となります。

 

イラクの同点ゴールが決まった瞬間、控えを含めた日本代表選手の多くが愕然としてその場に倒れ込みます。

 

その後、日本はキックオフからすぐ前線へロングパスを出すも、ボールがそのままタッチラインを割ったところで主審のセルジュ・ムーメンターラーの笛が鳴らされ、2−2の引き分けで試合終了となりました。

 

サウジアラビアが4−3でイランに勝利し、韓国が3−0で北朝鮮に勝利したため、日本はグループリーグ3位となり敗退が決定。

 

これがドーハの悲劇の全容となります。

 

 

ここで当時のエピソードをいくつか紹介したいと思います。

 

 

・テレビ東京のスタジオ解説で森孝慈は「これがサッカーなんですよ」とコメントし、司会の金子勝彦は「サッカーの世界では、天国と地獄を見て初めて本当のサポーターになれる」との言葉を紹介しました。

 

・同じくテレビ東京のスタジオ解説としていた柱谷幸一は涙ながらに「1カ月、辛かっただろうけど、胸を張って帰ってこい」と弟の哲二ら選手にメッセージを送りました。

 

・テレビ東京の放送は日本時間の深夜帯にもかかわらず、同局史上最高の48.1%を記録しました。

 

・川淵三郎は日本への帰国便に乗る前、「明日から我々に厳しい批判の声が飛んでくるけれど、それを受け止めて、前へと進んでいこう」と声をかけました。しかし選手達を乗せたチャーター便が成田国際空港に到着すると、数百人のファンから温かく出迎えられました。

 

・松永成立はこれに対し、「日本はサッカー先進国に向かっている途中だからこうなんだ。これがドイツやブラジル、スペインだったらこういう歓迎のされ方はしないんだろうな。これから代表を背負って戦っていく選手たちに対して、ここでブーイングされるときこそが本当の日本のサッカーのスタートなんだな」と感じたそうです。

 

・ドーハの悲劇から1年後、カタールで行われたU-16アジアユース選手権に出場したU-16日本代表は、決勝戦を山崎光太郎の延長ゴールデンゴールで勝利し、初のアジア制覇と翌年のU-17世界選手権エクアドル大会出場を決めます。中心メンバーの小野伸二・高原直泰・稲本潤一らは1999年のワールドユースで準優勝し、「黄金世代」と呼ばれるようになります。

 

・2016年、ドーハの地で行われたリオデジャネイロ五輪アジア最終予選の準決勝ではU-23日本代表がU-23イラク代表と対戦。後半48分に決勝点を奪ってリオデジャネイロ五輪本大会出場を決めてドーハの悲劇の時にはまだ生まれていなかった選手達がイラクにリベンジを果たしました。

 

 

最後にこの最終予選に登録されたメンバーの今を紹介して今回の記事を締めようと思います(2022年3月時点)。

 

 

松永成立:横浜F・マリノスのGKコーチに就任。

 

前川和也:現FCバイエルン・ツネイシ監督。息子の前川黛也はヴィッセル神戸のゴールキーパーとしてJリーガーに。

 

大嶽直人:J3の鹿児島ユナイテッドFC監督に就任。

 

勝矢寿延:セレッソ大阪のサッカースクールのスクールマスターに就任。

 

堀池巧:順天堂大学スポーツ健康科学部准教授および蹴球部監督に就任。

 

柱谷哲二:花巻東高校サッカー部のテクニカルアドバイザーに就任。

 

都並敏史:社会人チームのブリオベッカ浦安の監督に就任。

 

井原正巳:柏レイソルのヘッドコーチに就任。

 

三浦泰年:JFLの鈴鹿ポイントゲッターズの監督に就任。

 

大野俊三:茨城県鹿嶋市のスポーツ施設・「鹿島ハイツスポーツプラザ 」の支配人。

 

福田正博:サッカー解説者として活動中。

 

ラモス瑠偉:東京ヴェルディのチームディレクターに就任。

 

北澤豪:日本サッカー協会理事、日本障がい者サッカー連盟会長、國學院大學客員教授に就任。

 

吉田光範:社会人チームのFC刈谷のテクニカルディレクターに就任。

 

森保一:現日本代表監督に就任。

 

澤登正朗:清水エスパルスユースの監督に就任。

 

武田修宏:JFAアンバサダーに就任。

 

三浦知良:JFLの鈴鹿ポイントゲッターズで現役続行中。

 

長谷川健太:名古屋グランパスの監督に就任。

 

黒崎比差支:鹿島アントラーズのトップチームコーチに就任。

 

中山雅史:ジュビロ磐田のコーチに就任。

 

高木琢也:J3のSC相模原の監督に就任。

 

 

 

 

 

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