日本代表W杯予選激闘の歴史3 ジョホールバルの歓喜 1998年フランスW杯予選

日本代表W杯予選激闘の歴史3 ジョホールバルの歓喜 1998年フランスW杯予選

これまでの日本代表のW杯予選の歴史を振り返るシリーズ。

 

第3回目は1998年フランスW杯アジア予選、日本が初出場を決めた大会の予選を振り返っていきます。

 

 

ドーハの悲劇により初出場があと少しのところで手からこぼれ落ちた日本でしたが、2002年W杯に日韓共催が決定。

 

さらに1996年のアトランタ五輪で28年ぶりの出場を果たし、ブラジルを破るマイアミの奇跡を演じるなど、日本サッカーは右肩上がりで成長してきました。

 

そしていよいよ迎えたフランスW杯のアジア予選。

 

1次予選はオマーン、マカオ、ネパールと同組になり、5勝1分で突破。

 

6チームが集うホーム&アウェー方式の最終予選に駒を進めました。

 

このラインより上のエリアが無料で表示されます。

 

ホーム国立競技場で行われた初戦のウズベキスタン戦は三浦知良の4ゴールなどで6-3と大勝し、気温40度のアブダビで行われたUAE戦を0−0で引き分けた日本は、第3節でこのグループ最大のライバルとされた韓国をホーム国立競技場に迎えます。

 

日本は後半22分、今でも語り継がれるほど美しい山口素弘のループシュートで先制するも、後半39分と42分に立て続けにゴールを許し、1−2で逆転負けを喫してしまいます。

 

そして第4節、アウェーで行われたカザフスタン戦は、コーナーキックから秋田豊のヘディングで先制するも、ロスタイムに同点ゴールを決められて引き分け。

 

首位韓国との勝点差は7に開き、1位となる可能性はほぼ消滅してしまい、加茂周監督は更迭され、ヘッドコーチの岡田武史が監督に就任しました。

 

岡田監督の初戦、かつアウェー連戦となったウズベキスタン戦では前半30分に先制され、敗戦直前まで追い詰められますが、終了間際にDFも前線に上げるパワープレーを敢行した結果、井原正巳のロングボールを呂比須ワグナーがヘディングで合わせて同点ゴールを生み引き分けに持ち込みます。

 

2位UAEとの勝ち点差を1に縮める、首の皮一枚繋がった引き分けとなりました。

 

 

そしてUAEをホームの国立競技場に迎えた2位争いの直接対決。

 

勝てば2位浮上となる試合で、呂比須が前半4分に先制ゴールを挙げるも、前半37分に追いつかれそのまま追加点を挙げられず痛恨の引き分け。

 

自力2位が消滅し、試合後は国立競技場周辺で日本のサポーターが暴動を起こす事態となりました。

 

後が無くなった日本。アウェーでの韓国戦は韓国はすでに出場を決めている状況ということもあり、韓国内には絶対に日本に勝たなければいけないといういつもの空気は無かったようです。

 

また韓国はキャプテンの洪明甫を累積警告で欠いていたということもあり、日本は前半1分に名波浩、前半37分に呂比須がゴールを決め2−0と快勝。

 

そして翌日、UAEがホームで最下位ウズベキスタン相手に引き分けるという幸運もあり、日本はグループ2位に浮上。

 

最終戦のホームでカザフスタンに勝てば2位でプレーオフ進出という状況になりました。

 

カザフスタン戦は秋田のヘディングで先制すると、代表復帰した中山雅史や高木琢也のゴールなどで5−1で快勝。

 

イランとの第3代表決定戦に臨むことになります。

 

 

第3代表決定戦の地は中立地のマレーシア、ジョホールバル。

 

中立地ではありましたが、マレーシアとの時差は日本の方がイランより少なく、さらに日本はマレーシアとの直行便があるのに対して、イランは直行便が無いという地理関係。

 

イランは移動に約36時間かかるという厳しい準備状況で、さらにマレーシアには日本のサポーターが多数観戦に訪れ、会場は日本のホームのような雰囲気でした。

 

開催地をマレーシアにするという日本サッカー協会の政治力もあり、試合前からアドバンテージを取れたという状況でした。

 

試合は前半39分、日本が中田英寿のスルーパスに反応した中山雅史が先制します。

 

しかし後半に入るとイランが後半開始25秒にダエイのシュートのこぼれ球をアジジが押し込んで同点とし、後半14分にはダエイがヘディングシュートを決めて2−1と逆転。

 

追い込まれた岡田監督は2トップの三浦と中山に代えて城彰二と呂比須ワグナーを同時投入。絶対的エースとして君臨してきた三浦知良を初めて途中交代でベンチに下げるという覚悟の采配でした。

 

この交代が功を奏し、後半31分には中田のクロスボールから城がヘディングでゴールに突き刺し、2−2の同点に追いつきます。

 

コンディションの差もあり、徐々に日本のペースになりながらも追加点は奪えず、ゴールデンゴール方式の延長戦に突入。

 

ここで最後に岡田監督が切ったカードが快足を武器にする岡野雅之でした。

 

最終予選において一度も出場機会の無かった岡野に巡ってきた大舞台。

 

完全に足が止まっていたイランは岡野のスピードについていくことができません。何度も決定的なチャンスを生み出します。

 

しかし悉くチャンスを逃し、岡野は「このままでは日本には帰れない」と覚悟したそうです。

 

そんな中迎えた延長後半13分、呂比須が中盤で奪取したボールを中田がドリブルで持ち上がり、ペナルティエリア直前からミドルシュート。

 

アベドサデがはじいたルーズボールに岡野が走りこみ、スライディングしながら右足でゴールに押し込み、日本のフランスに導く決勝点を決めます。

 

1954年のW杯スイス大会予選に参加して以来43年目、10回目の挑戦での出場権獲得。

 

日曜日の深夜の放送にもかかわらず、フジテレビの平均視聴率は47.9%という高視聴率を記録し、まさに歴史的な1日となりました。

 

 

最後にこのジョホールバルの歓喜の時に登録されていたメンバーの今を紹介して今回の記事を締めようと思います(2022年3月時点)。

 

 

川口能活:ナショナルトレーニングセンターのGKコーチに就任。

 

楢ア正剛:JFAトレセンコーチに就任。名古屋グランパスの「クラブスペシャルフェロー」、「アカデミーダイレクター補佐」、「アカデミーGKコーチ」とも兼任。

 

名良橋晃:メディアでのサッカー解説を務めながら、SC相模原ジュニアユースの総監督を務めている。

 

相馬直樹:2021年シーズンから鹿島アントラーズの監督に就任するもシーズン終了後に退任。

 

井原正巳:柏レイソルのヘッドコーチに就任。

 

秋田豊:本田圭佑がプロデュースを行っているSOLTILO FCユースとジュニアユースのスーパーアドバイザーに就任。実業家としても活動しており、サンクト・ジャパンの代表取締役社長としてトレーニング器具の販売を手掛けている。またeSportsの選手育成を行う「eスポーツジャパン」を発足させ、アジア大会や五輪への出場を目標に選手の指導を行っている。

 

小村徳男:サッカースクールSKYのコーチを務め、子供達の指導にあたる。

 

中村忠:東京ヴェルディのアカデミーヘッドオブコーチングに就任。

 

山口素弘:名古屋グランパスの執行役員ゼネラルマネージャーに就任。

 

中田英寿:実業家として活躍中。自ら設立した株式会社JAPAN CRAFT SAKE COMPANYで代表取締役を務めている。

 

名波浩:松本山雅FCの監督に就任。

 

北澤豪:日本サッカー協会理事、日本サッカー協会理事に就任。

 

本田泰人:FC町田ゼルビアの強化・スカウト担当スタッフとして活動中。

 

三浦知良:JFLの鈴鹿ポイントゲッターズで現役続行中。

 

中山雅史:ジュビロ磐田のコーチに就任。

 

城彰二:北海道リーグの北海道十勝スカイアースの統括ゼネラルマネージャーに就任。

 

呂比須ワグナー:セリエBのECヴィトーリア監督に就任。

 

岡野雅行:ガイナーレ鳥取の代表取締役GMに就任。

 

 

 

 

 

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