W杯を惜しくも優勝できなかった国シリーズ2 チェコスロバキア

W杯を惜しくも優勝できなかった国シリーズ2 チェコスロバキア

W杯を振り返るシリーズのスピンオフ連載ということで、W杯を惜しくも優勝できていない国について特集をしてみることとします。

 

第2回はチェコスロバキア代表を取り上げます。

 

チェコではチェコスロバキア成立以前にオーストリア・ハンガリー帝国内のボヘミア代表として代表チームを編成しており、ボヘミア代表は1903年に初めての国際試合を行っています。

 

第一次世界大戦が終わると1920年にオーストリアのボヘミア、モラヴィア、シレジア(チェコ)とハンガリー王国の北部ハンガリー(スロバキア)が合併してチェコスロバキアが誕生。

 

サッカーのナショナルチームもこの年に結成され、アントワープオリンピックに出場し、決勝まで進んでいます。

 

 

 

W杯は南米開催となった1930年第1回ウルグアイ大会は不参加だったものの、1934年の第2回イタリア大会から参加。

 

エースのオルドリッヒ・ネイエドリーを擁し、トーナメントをルーマニア、スイス、ドイツと破って決勝まで勝ち上がりました。

 

オルドリッヒ・ネイエドリーは準決勝のドイツ戦でハットトリックの活躍。大会得点王に輝きました。

 

決勝の相手は地元イタリア。

 

0-0のまま試合は推移し、後半76分にチェコスロバキアがついに先制。優勝は目前でした。

 

しかしこの大会はイタリアのファシスト政権の元で行われ、ホームイタリア有利の判定が繰り返された大会でした。

 

81分に同点ゴールを許すと、延長戦で逆転ゴールを許し、準優勝に終わりました。

 

 

第二次世界大戦が近付くとチェコスロバキアにはナチス・ドイツが介入。

 

1939年にスロバキア側に傀儡政権であるスロバキア独立国を成立させ、チェコもボヘミア・モラビア保護領としてドイツに組み込まれました。

 

そういった混乱もあり、戦後すぐはチェコスロバキアとして復活しても目立った成績は残せず。

 

徐々に戦前の力を取り戻していき、再び優勝のチャンスが訪れたのは1962年の第7回チリ大会でした。

 

グループリーグをブラジルに次ぐ2位で決勝トーナメント進出。

 

決勝トーナメントではハンガリー、ユーゴスラビアと立て続けに東欧対決を制して決勝へ進みました。

 

決勝は前回優勝国のブラジル。チェコスロバキアは前半15分に先制し、1934年イタリア大会決勝と同様に先制します。

 

しかし王者ブラジルの壁は厚く、3点を奪われて1-3で逆転負け。2度目の準優勝となります。

 

 

 

その後のチェコスロバキア代表は1976年のUEFA欧州選手権でクライフ率いるオランダ、ベッケンバウアー率いる西ドイツを破って優勝するなど強さを見せる時期もありました。

 

しかしその前後の1974年、1978年のW杯はチーム力がW杯本番と噛み合わずヨーロッパ予選で敗退。

 

1980年のモスクワオリンピックでも優勝しましたが、この大会は西側諸国がボイコットして出場しなかった大会でした。

 

1980年代以降は徐々に西側諸国に遅れを取るようになり、1989年11月のビロード革命でチェコスロバキアは民主化。

 

チェコとスロバキアが分離独立していく流れとなっていき、1990年のイタリアW杯ベスト8がチェコスロバキアとしての最後のW杯成績となりました。

 

 

 

分離後はチェコ代表とスロバキア代表と別々の道を進むことになります。

 

チェコ代表は2004年のEUROで当時世界最高のGKと呼ばれたペトル・チェフやパヴェル・ネドヴェド、トマーシュ・ロシツキー、ヤン・コレル、ミラン・バロシュといったスター選手を揃えてベスト4まで進出します。

 

その2年後の2006年ブラジルW杯でも優勝候補の一角と言われましたが、イタリア、ガーナ、アメリカと同居する厳しい組に入ってしまい、グループリーグ敗退。

 

それ以降はヨーロッパ地区予選で敗退してW杯には出場することができず、スロバキア代表も2010年南アフリカW杯のベスト16がW杯での唯一の成績となっています。

 

 

 

 

 

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