W杯を振り返るシリーズ10 第10回西ドイツFIFAワールドカップ 〜クライフ対ベッケンバウアー〜

W杯を振り返るシリーズ10 第10回西ドイツFIFAワールドカップ 〜クライフ対ベッケンバウアー〜

西ドイツ、スペイン、イタリア、オランダが承知に立候補。

 

スペインと西ドイツが協力し、西ドイツが1974年に開催する代わりに1982年大会ではスペイン開催に協力するという流れができたため、イタリアとオランダも辞退。

 

1974年大会は西ドイツ開催に決定しました。

 

 

前回大会まで使われていたジュールリメ杯は3度優勝したブラジルに渡されたため、今大会から現在でも使われているFIFAワールドカップトロフィーが優勝国に渡されることになりました。

 

また今大会から2次リーグ制が導入されます。

 

出場国は16カ国のままですが、4組に分けられるグループリーグの上位2カ国が4チームずつ2組の2次リーグに進出。

 

2次リーグの1位同士が決勝、2位同士が3位決定戦を行うというレギュレーションでした。

 

 

開催国の西ドイツが入るグループ1には東ドイツが同居します。

 

東西ドイツが対戦した史上唯一の国際Aマッチであり、大方の予想を覆して東ドイツが1-0で勝利。

 

東ドイツが1位、西ドイツが2位で1次リーグを突破します。

 

 

前回優勝国のブラジルはペレ、トスタン、ジェルソンらが代表引退した影響でチーム力が落ち、1次リーグから大苦戦。

 

ユーゴスラビア戦、スコットランド戦と2試合連続でスコアレスドローとなり、3戦目でザイールに勝利したことで、かろうじて得失点差でスコットランドを上回って2位通過。

 

首位通過はユーゴスラビアに譲りました。

 

グループ3はヨハン・クライフを中心に従来のポジションに捉われず全員攻撃・全員防御を掲げた「トータルフットボール」を展開し、サッカーに新時代が到来しました。

 

オランダが首位通過し、スウェーデンが2位で突破します。

 

そしてグループ4ではポーランドが旋風を巻き起こします。

 

ポーランドは2年前のミュンヘンオリンピックで金メダルを獲得しており、そのチームを中心とした攻撃サッカーで大会を席巻しました。

 

初戦のアルゼンチン戦を3-2で撃破すると、ハイチを7-0で粉砕し、3戦目もイタリアを2-1で撃破。

 

3連勝で1位通過し、イタリアを1次リーグ敗退に追い込みます。

 

 

2次リーグのグループAはオランダ、ブラジル、東ドイツ、アルゼンチンが同居。

 

ここでもトータルフットボールのオランダ旋風は止まらず、アルゼンチンを4-0で粉砕すると、東ドイツにも2-0で勝利。

 

そして前回優勝国のブラジルに対しても2-0で勝利と強豪が集った2次リーグで得点8、失点0、3連勝という圧倒的な成績で首位通過しました。

 

ブラジルはオランダに敗れたものの東ドイツに1-0、アルゼンチンに2-1と接戦を制して、なんとか3位決定戦まで進みます。

 

グループBは西ドイツ、ポーランド、スウェーデン、ユーゴスラビアが同居。

 

西ドイツとポーランドが2連勝同士で迎えた決勝進出を賭けた最終節。

 

拮抗した試合となりましたが、ベッケンバウアー率いる西ドイツが後半34分に「爆撃機」ゲルト・ミュラーの一撃で先制し、この点が決勝点に。

 

1-0で西ドイツが勝利して、1次リーグから5連勝していたポーランド旋風はここで止まりました。

 

 

しかし3位決定戦でポーランドはエース、グジェゴシ・ラトーのゴールにより1-0でブラジルに勝利。

 

ラトーは7得点を挙げ、大会得点王になりました。

 

また得点ランキング2位にもオランダのヨハン・ニースケンスと並んでポーランドのアンジェイ・シャルマッフが入り、その攻撃力は大会に大きな爪痕を残しました。

 

 

決勝はベッケンバウアー率いる西ドイツとクライフ率いるトータルフットボールのオランダ。

 

今でも語り継がれる名勝負となりました。

 

試合開始早々にクライフがペナルティーエリア内で倒されてPKを得ると、ニースケンスが決めて先制。

 

しかし西ドイツもベッケンバウアーを中心とした革新的なリベロシステムを今大会で確立させていました。

 

そしてゲルト・ミュラー、ヴォルフガング・オヴェラート、ベルティ・フォクツ、パウル・ブライトナー、ゼップ・マイヤーといったスター選手を揃えており、オランダに負けず劣らず素晴らしいチームを作り上げていました。

 

PKで追い付くと、前半終了間際にミュラーが決勝点を叩き込み、西ドイツが逆転勝利。

 

1954年にマジック・マジャールを逆転で破って優勝した大会に続き、またしてもスター軍団を揃える大会の目玉チームを逆転で破って2度目の優勝を成し遂げました。

 

 

 

 

 

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