W杯を振り返るシリーズ14 第14回 イタリアFIFAワールドカップ 〜W杯史上最も退屈な大会〜

W杯を振り返るシリーズ14 第14回 イタリアFIFAワールドカップ 〜W杯史上最も退屈な大会〜

開催に名乗りを挙げたのはイタリア、ソ連、オーストリア、イングランド、フランス、ギリシャ、イラン、西ドイツ、ユーゴスラビアと実に9カ国。

 

しかしイタリアとソ連以外は投票の前に辞退し、イタリアとソ連の決選投票によりイタリア開催が決まりました。

 

 

 

この大会は日本放送協会の協力によりイタリア放送協会を通じて世界各国に高精細度テレビジョン放送として配信された初の大会でした。

 

今大会の参加国も24ヶ国。レギュレーションも前回大会と同じく6組に分かれた1次リーグを勝ち上がった16ヶ国が決勝トーナメントを戦うという方式です。

 

 

 

グループAはイタリアとチェコスロバキアが突破。イタリアはロベルト・バッジョとスキラッチの2トップが活躍します。

 

グループBはカメルーン、ルーマニア、アルゼンチンが突破。

 

カメルーンは今大会の開幕戦で前回優勝国のアルゼンチンを破るという番狂わせを起こすなど旋風を巻き起こし、首位通過します。

 

グループCはブラジルとコスタリカが突破。ブラジルはカレカとミューレルの2トップが活躍し、3連勝で勝ち上がります。

 

またボラ・ミルティノビッチ監督率いるコスタリカもスコットランドとスウェーデンを撃破して2位通過するサプライズを見せました。

 

 

 

グループDは西ドイツ、ユーゴスラビア、コロンビアが突破。

 

西ドイツはマテウス、クリンスマン、ブレーメ、ブッフバルトらを擁し、初戦のユーゴスラビア戦で4-1で大勝するなど安定の勝ち上がり。

 

イビチャ・オシム率いるユーゴスラビアも初戦は敗れたものの2戦目以降は立ち直り、決勝トーナメントへ進みました。

 

グループEはスペイン、ベルギー、ウルグアイが突破。

 

グループFはイングランド、アイルランド、オランダが突破。アイルランドとオランダは3引き分けでの突破となりました。

 

くじ引きによりアイルランドがグループ2位、オランダがグループ3位となります。

 

 

 

ラウンド16では西ドイツ、チェコスロバキア、イングランド、カメルーン、イタリア、アイルランド、ユーゴスラビア、アルゼンチンが勝ち上がり、ベスト8へ。

 

西ドイツは優勝候補のオランダを撃破、グループリーグではマラドーナが精細を欠き苦戦したアルゼンチンはブラジル相手に終始劣勢だったものの、1-0で勝利しました。

 

ユーゴスラビアはストイコビッチの活躍もあり、スペイン相手に延長戦の末に2-1で勝利。

 

アイルランドはグループリーグでの3引き分けに続き、ルーマニアとも引き分け。PKの末に勝ち上がりました。

 

カメルーンは自国の英雄、38歳となったロジェ・ミラが2ゴールの活躍でコロンビアを2-1と撃破。

 

アフリカ勢として初めてベスト8に進出しました。

 

 

 

準々決勝1試合目は西ドイツがチェコスロバキアを1-0で破って勝ち上がり。

 

2試合目はイングランドがカメルーンを3-2で破って、勝ち上がり。

 

ここまで開幕戦でのアルゼンチン相手の勝利からアフリカ勢初のベスト8と旋風を巻き起こしたカメルーンは一時2-1とリードしましたが、惜しくも延長戦の末にここで姿を消しました。

 

イングランドはエース、リネカーの逆転を導く2ゴールにより、優勝した1966年イングランド大会以来のベスト4進出を決めました。

 

3試合目はイタリアが1-0でアイルランドに勝利。アイルランドはベスト8まで進みながら未勝利で大会を去ることとなりました。

 

4試合目はPK戦の末にアルゼンチンがユーゴスラビアに勝利。

 

ユーゴスラビアは前半31分に退場者を出し数的不利な状況での戦いが続きましたが、互角の熱戦を120分演じました。

 

しかしPK戦で及ばず、ここで姿を消すこととなりました。

 

 

 

準決勝では伝統的なライバル国である西ドイツとイングランドが激突。

 

PK戦の末に西ドイツが勝利し、敗れて涙を流すイングランドのガスコインの姿は今大会の象徴的なシーンとして記憶されています。

 

もう1試合はアルゼンチンがイタリアをPK戦の末に破って勝利して、2大会連続での決勝進出を決めます。

 

しかしこの試合で主力選手が警告を受け、決勝は主力選手4人を累積警告で出場できなくなってしまいました。

 

決勝は主力選手を4人欠くアルゼンチンが守備的な戦術で戦うも、アルゼンチンが後半になって二人の退場者を出す展開となりました。

 

防戦一方となったアルゼンチンですが、最終的には試合終盤の85分に西ドイツがPKを決めて西ドイツが優勝。

 

PKも微妙な判定だったことから、この試合はW杯史上最もつまらない決勝と称されることもあります。

 

 

 

また大会全体を通しても総得点は115、1試合平均2.21点とW杯史上最低の数字となり、W杯の歴史上において最も退屈な大会とも評されています。

 

この大会の反省からFIFAは守備側の選手の遅延行為を禁止するためのバックパス・ルールを導入。

 

さらに次回大会からは攻撃的なサッカーと勝利の勝ちを増やすため、グループリーグにおける勝利勝ち点が2から3へと増やされることとなりました。

 

3位決定戦はイタリアがバッジョとスキラッチのゴールにより2-1でイングランドに勝利。

 

得点王は6ゴールを決めたスキラッチでした。

 

 

 

 

 

関連ページ

W杯を振り返るシリーズ17 第17回 日韓FIFAワールドカップ 〜自国開催で初のベスト16〜
開催国として名乗りを挙げたのは日本、韓国、メキシコの3ヶ国。事実上日本と韓国の一騎討ちという情勢になりましたが、熾烈な招致合戦やFIFA内の権力闘争などの妥協の産物として初の2ヶ国共催が決定されます。この日韓共催はアジアでの初のW杯開催でもありました。
W杯を惜しくも優勝できなかった国シリーズ4 ポルトガル
W杯を振り返るシリーズのスピンオフ連載ということで、W杯を惜しくも優勝できていない国について特集をしてみることとします。第4回はポルトガル代表を取り上げます。ポルトガルは元々強豪国ではなく、1934年第2回大会から1962年7回大会まで6大会連続で地区予選で敗退していました。
W杯を振り返るシリーズ16 第16回 フランスFIFAワールドカップ 〜日本が初出場した大会〜
開催国として名乗りを挙げたのはフランス、イングランド、ドイツ、モロッコ、スイスの5ヶ国。最終的にフランスとモロッコ以外の国は辞退し、決選投票でフランスが開催国に選ばれました。
W杯を振り返るシリーズ15 第15回 アメリカFIFAワールドカップ 〜過酷な環境下での大会〜
開催国としてアメリカ、ブラジル、モロッコ、チリの4カ国が名乗りを挙げましたが、1回目の投票で過半数を得たアメリカが開催地に選ばれました。アメリカは4大プロスポーツが人気であり、サッカー不毛の地と言われていました。
W杯を惜しくも優勝できなかった国シリーズ3 ポーランド
W杯を振り返るシリーズのスピンオフ連載ということで、W杯を惜しくも優勝できていない国について特集をしてみることとします。第3回はポーランド代表を取り上げます。
W杯を振り返るシリーズ13 第13回 メキシコFIFAワールドカップ 〜マラドーナによるマラドーナのための大会〜
この大会は1度はコロンビアが無投票で開催国に決定したものの、大会の4年前に財政上の問題から辞退しました。そこであらためて候補を募ったところ、メキシコ、アメリカ、カナダの3ヶ国が立候補。ワールドカップ史上初となる満場一致の投票結果でメキシコが開催都市に選ばれました。
W杯を振り返るシリーズ12 第12回 スペインFIFAワールドカップ 〜パオロ・ロッシの活躍でイタリアが優勝〜
1974年に西ドイツに開催を譲ったのと同時に1982年大会はスペイン開催ということで同じタイミングで決定しました。この大会から始めてFIFAから参加国に賞金が授与されるようになります。参加国も今大会から24カ国に増加し大会形式は前回同様に2次リーグ制で行われます。
W杯を振り返るシリーズ11 第11回アルゼンチンFIFAワールドカップ 〜アルゼンチンの初優勝〜
立候補していたのはアルゼンチン、メキシコ、コロンビアでしたが、コロンビアは辞退し、候補国はアルゼンチンとメキシコの2カ国に。1970年大会の決選投票と同じになり、その時にメキシコが勝利していたために今回はメキシコが辞退。アルゼンチンが無投票で開催地に選ばれました。
W杯を振り返るシリーズ10 第10回西ドイツFIFAワールドカップ 〜クライフ対ベッケンバウアー〜
西ドイツ、スペイン、イタリア、オランダが承知に立候補。スペインと西ドイツが協力し、西ドイツが1974年に開催する代わりに1982年大会ではスペイン開催に協力するという流れができたため、イタリアとオランダも辞退。1974年大会は西ドイツ開催に決定しました。
W杯を振り返るシリーズ9 1970年第9回メキシコFIFAワールドカップ 〜ブラジルが全勝で3度目の優勝〜
この大会はメキシコ、アルゼンチン、オーストラリア、コロンビア、日本、ペルーと多くの国が招致を表明。最終的にメキシコ、アルゼンチン以外の4カ国は辞退し、決選投票によりメキシコが選ばれました。欧州と南米以外で初めての開催となります。
W杯を振り返るシリーズ8 1966年第8回 イングランドFIFAワールドカップ 〜イングランドの初優勝〜
イングランド、西ドイツ、スペインが大会誘致に立候補し、サッカーの母国、イングランドが初の開催国となりました。今回も出場国は16カ国でグループリーグも前回同様のレギュレーションで行われました。
W杯を惜しくも優勝できなかった国シリーズ2 チェコスロバキア
W杯を振り返るシリーズのスピンオフ連載ということで、W杯を惜しくも優勝できていない国について特集をしてみることとします。第2回はチェコスロバキア代表を取り上げます。
W杯を振り返るシリーズ7 1962年第7回 チリFIFAワールドカップ 〜ブラジルが連覇達成〜
西ドイツ、アルゼンチン、チリの3カ国が大会誘致に立候補し、チリが開催都市に選ばれました。1960年にチリ地震が起きて開催が危ぶまれましたが、チリはスタジアム建設等精力的に準備を行い、開催を実現することができました。
W杯を振り返るシリーズ6 1958年第6回スウェーデンFIFAワールドカップ 〜ブラジルの初優勝〜
参加国は前回同様16カ国。ソ連やイギリス連邦のイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドが初めて揃って本大会に進出。ウルグアイとイタリアが予選で姿を消して本大会出場を逃すという波乱がありました。
W杯を惜しくも優勝できなかった国シリーズ1 ハンガリー
W杯を振り返るシリーズのスピンオフ連載ということで、W杯を惜しくも優勝できていない国について特集をしてみることとします。第1回はまずハンガリー代表を取り上げます。ハンガリー代表は1934年の第2回W杯から参戦し、その時はベスト8。
W杯を振り返るシリーズ5 1954年第5回スイスFIFAワールドカップ 〜マジック・マジャールの敗北〜
FIFA創立50周年だったため、大会は本部のあるスイスで行われることとなりました。またスイスは第二次世界大戦で中立を保ち、戦災を免れたため、スタジアムなどの施設・環境整備が容易という理由もありました。
W杯を振り返るシリーズ4 1950年第4回ブラジルFIFAワールドカップ 〜マラカナンの悲劇〜
ブラジルは1942年のFIFAワールドカップに立候補していましたが、第二次世界大戦勃発により開催中止となりました。そしてヨーロッパの大部分が未だに復興途上であったため、戦後改めてブラジルが無投票で開催国に選ばれました。
W杯を振り返るシリーズ3 1938年第3回フランスFIFAワールドカップ 〜戦前最後のW杯〜
第3回W杯の開催国として立候補したのはフランス、ドイツ、アルゼンチンの3カ国。ジュール・リメFIFA会長の存在は大きく、1回目の投票でフランスが過半数以上を獲得したため、フランスが開催国に選ばれました。
W杯を振り返るシリーズ2 1934年第2回イタリアFIFAワールドカップ 〜暗黒のファシズム大会〜
第1回W杯は計59万549人の大観衆を集め、25万ドル(当時の日本円で50万6,250円。現在価値で約10億円)以上の収益を得て大成功。FIFAは設立当初からの資金難も脱却し、第2回W杯の開催も決まりました。
W杯を振り返るシリーズ1 1930年第1回ウルグアイFIFAワールドカップ 〜W杯の幕開け〜
1904年5月21日、パリでフランス、オランダ、スイス、デンマーク、ベルギー、スウェーデン、スペインの7か国が集まり、世界のサッカー統括組織設立の会議が開催されました。そして会議の結果、「国際サッカー連盟(略称:FIFA)」の設立が決定。