W杯を振り返るシリーズ16 第16回 フランスFIFAワールドカップ 〜日本が初出場した大会〜

W杯を振り返るシリーズ16 第16回 フランスFIFAワールドカップ 〜日本が初出場した大会〜

開催国として名乗りを挙げたのはフランス、イングランド、ドイツ、モロッコ、スイスの5ヶ国。

 

最終的にフランスとモロッコ以外の国は辞退し、決選投票でフランスが開催国に選ばれました。

 

今大会から参加国が32ヶ国に増加。日本も今大会で初出場を決めます。

 

グループリーグが4ヶ国ずつ計8グループになり、上位4ヶ国が決勝トーナメントに進むというお馴染みのレギュレーションとなりました。

 

 

 

グループAはブラジルとノルウェーが突破。前回優勝国のブラジルは予選リーグ連勝と早々勝ち抜け。ノルウェーも長身FWフローの活躍でブラジルを破り2位に入ります。

 

グループBはイタリアとチリが突破。イタリアは新エースのビエリとバッジョの二人のFWが活躍しました。

 

グループCはフランスとデンマークが突破。開催国のフランスは3連勝と強さを見せます。

 

死の組と言われたのがグループD。スペイン、ナイジェリア、パラグアイ、ブルガリアが同居しました。

 

突破したのはナイジェリアとパラグアイ。無敵艦隊と言われたスペインや前回ベスト4のブルガリアが敗退しました。

 

グループEはオランダとメキシコが突破。オランダは韓国相手に5-0で圧勝するなど攻撃力の高さを見せます。

 

グループFはドイツとユーゴスラビアが共に2勝1分と無難に突破。

 

グループGはルーマニアとイングランドが突破。前回大会ベスト8と活躍したハジ率いるルーマニアがイングランドを抑えて首位通過します。

 

グループHはアルゼンチンとクロアチアが突破。初出場となった日本は残念ながら3戦全敗。しかし3試合とも1点差での敗戦と決して通用しなかったわけではなく、確かな足跡を刻みました。

 

 

 

ラウンド16ではブラジル、デンマーク、オランダ、アルゼンチン、イタリア、フランス、ドイツ、クロアチアが勝ち上がり。

 

このラウンドで最も注目を集めたのがアルゼンチン対イングランドでした。

 

ワンダーボーイと言われたイングランドのマイケル・オーウェンのスーパーゴールが飛び出したり、デイビッド・ベッカムがディエゴ・シメオネへの報復行為により一発退場になるなど話題豊富な試合でした。

 

2-2のまま試合が進み、PK戦の末にアルゼンチンが勝ち上がりました。

 

お互い豊富なアタッカーを揃えた攻撃的なチームであったオランダとユーゴスラビアの試合も好ゲームに。

 

オランダが後半アディショナルタイムに決勝ゴールを決めてオランダが勝利しました。

 

 

 

準々決勝1試合目のイタリア対フランスは大熱戦。

 

お互い好機がありながらも活かせず、互角の展開のまま0-0でPK戦に突入。

 

フランスがPK戦を制して、イタリアは2大会連続でPK戦で涙を飲みました。

 

準々決勝2試合目のブラジル対デンマークは打ち合いの末、3-2でブラジルが勝利。

 

準々決勝3試合目のオランダ対アルゼンチンも好ゲームになりました。

 

1-1のまま迎えた89分にオランダのベルカンプが値千金の勝ち越しゴールを決め、オランダが2試合連続の終盤の決勝点で勝ち上がりました。

 

準々決勝4試合目は波乱が起きました。初出場のクロアチアが3-0でドイツに圧勝。

 

ユーゴスラビアから分離独立して初のW杯で早くもサプライズを起こしました。

 

 

 

準決勝のブラジル対オランダも熱戦の好ゲームとなりました。

 

攻撃力が自慢の両チームはブラジルのロナウド、オランダのクライファートとエースがゴールを決めて1-1のままPK戦へ。

 

PK戦を制したブラジルが2大会連続の決勝に勝ち上がりました。

 

もう1試合のフランス対クロアチアはフランスが2-1で勝利。

 

クロアチアの快進撃も開催国フランスの前についにここで止まりました。

 

しかし3位決定戦ではクロアチアがオランダを撃破。

 

初出場ながら3位に入り、6ゴールを決めたダヴォール・シューケルが得点王となりました。

 

 

 

決勝は開催国フランス対前回優勝国のブラジル。

 

フランスはいわゆる「パリの悲劇」で、アメリカ大会に出場できなかったところからエメ・ジャケ監督の下で地元開催のこの大会に向けて着実にチーム作りを進めていました。

 

最も大きな点はこれまでエースだったエリック・カントナを外し、ジネディーヌ・ジダンをチームの中心に据えたことでした。

 

ローラン・ブラン、マルセル・デサイー、ディディエ・デシャン、リリアン・テュラムといったベテラン勢を中心に据えた安定の守備陣。

 

そしてティエリ・アンリ、ダビド・トレゼゲといった勢いのある若手ストライカーの力をジダンが引き出す攻撃陣と好チームを作り上げました。

 

 

 

一方でブラジルは新エースのロナウドがエースとして活躍し、リバウド、ベベット、サンパイオなど周囲の攻撃陣とかみ合った攻撃力は破壊力がありました。

 

しかし決勝戦当日の朝。エースのロナウドは突然けいれんを起こし、数分間意識不明になってしまいました。

 

その後回復して決勝には出場するも、決勝直前での出来事にブラジルチームは動揺。

 

ロナウドも全く精彩を欠き、試合はジダンの2ゴールなどもあり3-0でフランスが勝利。

 

フランスはW杯初優勝となりました。

 

 

 

 

 

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