W杯を振り返るシリーズ2 1934年第2回イタリアFIFAワールドカップ 〜暗黒のファシズム大会〜
第1回W杯は計59万549人の大観衆を集め、25万ドル(当時の日本円で50万6,250円。現在価値で約10億円)以上の収益を得て大成功。
FIFAは設立当初からの資金難も脱却し、第2回W杯の開催も決まりました。
開催国として名乗りを挙げたのはイタリアとスウェーデンでしたが、スウェーデンが辞退したためにイタリアが無投票で開催国として決定されました。
この大会は初めて大陸予選が行われた大会でした。参加国は、前回の13カ国から32カ国に大幅に増加しましたが、そのほとんどを(22カ国)ヨーロッパ勢が占めます。
一方、前回大会でヨーロッパからの参加国が4カ国に止まったことに抗議するため、前回優勝国のウルグアイは参加を辞退しました。
レギュレーションは32カ国によるトーナメント形式。
また、この大会はムッソリーニ率いるファシスト党統治下のイタリアで行われたため、対イタリア戦では審判や対戦相手に強い圧力が加えられました。
特に準決勝のスウェーデン人審判は対戦前にムッソリーニ本人に会ったといわれており、露骨にイタリア優位の判定を繰り返し、挙句オーストリアのセンタリングを自らクリアーするなどの行為も行いました。
大会終了後、イタリア戦の審判の内の幾人かは、母国から出場停止処分を受けることになりました。
さらにイタリア代表は前回大会の準優勝国アルゼンチンをはじめとして多くの選手を帰化させており、帰化選手がイタリアチームの大半を占めていました。
大会は1回戦を勝ったオーストリア、チェコスロバキア、ドイツ、ハンガリー、イタリア、スペイン、スウェーデン、スイスが準々決勝に進出。
準々決勝のイタリア対スペイン戦では延長戦後の1-1での引き分けを受けて、再試合が行われイタリアが1-0で勝利。
次の対オーストリア戦も1-0で勝利し、イタリアは決勝戦に進出します。
対する決勝の相手はドイツを3-1で破り、勝ち上がってきたチェコスロバキア。
決勝戦は70分の時点でチェコスロバキアが1対0でリードしていましたが、その後2点を取り逆転したイタリアがワールドカップ初優勝を果たします。
また、この大会から準決勝で敗れた国同士による3位決定戦が行わるようになり、ドイツがオーストリアを3-2で破って3位となりました。
得点王は5得点を挙げたチェコスロバキアのオルドリッヒ・ネイエドリー。
なお今大会の帰化人を揃えたイタリアの優勝をきっかけに、南米から欧州の代表に選手の流出が相次いだことで、1962年第7回チリW杯終了後、FIFAは生涯1代表(出場できるのは初めて国際試合に出場した際の国籍の代表だけ)と定めることとなりました。
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