W杯を振り返るシリーズ9 1970年第9回メキシコFIFAワールドカップ 〜ブラジルが全勝で3度目の優勝〜

W杯を振り返るシリーズ9 1970年第9回メキシコFIFAワールドカップ 〜ブラジルが全勝で3度目の優勝〜

この大会はメキシコ、アルゼンチン、オーストラリア、コロンビア、日本、ペルーと多くの国が招致を表明。

 

最終的にメキシコ、アルゼンチン以外の4カ国は辞退し、決選投票によりメキシコが選ばれました。

 

欧州と南米以外で初めての開催となります。

 

 

高地での開催であったことから、選手の消耗対策としてプレー中断時の水分補給や2人までの選手交代が認められるようになりました。

 

またそれまでは口頭だった選手への警告や退場を目に見える形で提示すべくレッドカードとイエローカードも導入。

 

テレビ中継での見やすさに配慮された白と黒の亀甲模様の今ではお馴染みのサッカーボールが使われるようになったのもこの大会からです。

 

 

大会のレギュレーションは前回同様に16カ国が出場し、グループリーグを勝ち上がった8カ国が決勝トーナメントを戦う方式。

 

開催国のメキシコが属するグループ1はソ連とメキシコがグループリーグ突破しました。

 

グループ2はイタリアとウルグアイがグループリーグ突破。

 

グループ3はペレが率いるブラジルが抜群の強さを見せ3連勝で1位、イングランドが2位で通過。

 

グループ4は西ドイツとペルーが突破しました。

 

 

決勝トーナメントでもブラジルが強さを見せ、4-2でペルーに勝利、3-1でウルグアイに勝利と南米対決を制して危なげなく決勝へ。

 

逆ブロックでは準々決勝でイタリアが開催国のメキシコを4-1で撃破し、西ドイツがイングランドに3-2で勝利。

 

準決勝でイタリアと西ドイツが激突しますが、この試合はアステカの死闘と呼ばれる名勝負になりました。

 

交代枠を使い切っていたために肩を脱臼しながらもテーピングで固定して戦い続けたベッケンバウアーは有名なエピソードです。

 

結果は延長戦の末に4-3でイタリアが勝利。

 

しかしイタリアはこの激闘で力を使い果たしたか、決勝でブラジルに1-4と大敗。

 

ブラジルが3度目の優勝を果たし、規定により当時のジュール・リメ杯の永劫所有権を獲得しました。

 

 

しかしその後、このカップは盗難にあってしまい、溶かして金塊として売られてしまったので現存はしていません。

 

次の大会からはトロフィーの名称も現在の「FIFAワールドカップ」に変更されました。

 

今大会のブラジルはペレを中心にしたブラジル史上最強メンバーと呼ばれました。

 

ペレ以外にもジャイルジーニョ、ロベルト・リベリーノ、トスタン、ジェルソン、クロドアウド、カルロス・アウベルトといった強力メンバーを揃え、南米予選から通じて全勝優勝。

 

この記録は今でもこの大会のブラジルしか達成していません。

 

また決勝戦でのペレのゴールはW杯におけるブラジル代表の100得点目となりました。

 

 

 

 

 

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