W杯を惜しくも優勝できなかった国シリーズ5 スウェーデン

W杯を惜しくも優勝できなかった国シリーズ5 スウェーデン

W杯を振り返るシリーズのスピンオフ連載ということで、W杯を惜しくも優勝できていない国について特集をしてみることとします。

 

第5回はスウェーデン代表を取り上げます。

 

 

スウェーデンは1940年から50年代にかけて強さを誇ったチームでした。

 

1948年のロンドンオリンピックで優勝したチームを主体にして臨んだのが1950年第4回ブラジルW杯。

 

グループリーグではイタリアに勝利し、パラグアイと引き分けて1位通過します。

 

この大会のレギュレーションは決勝もリーグ戦で争われることになったので、4ヶ国で争われる決勝リーグに進出しました。

 

しかし決勝リーグ初戦で地元ブラジルに1-7と大敗。さらに2戦目のウルグアイにも2-3で敗れて、この時点で優勝の可能性は消滅しました。

 

3戦目のスペイン戦は勝利したため、3位になります。

 

 

続く1954年第5回スイスW杯では大陸予選で敗退しますが、地元開催となった1958年第6回スウェーデンW杯では再び強さを見せます。

 

グループリーグ初戦でメキシコ相手に3-0と快勝すると、2戦目はハンガリーに勝利、3戦目はウェールズと引き分けて2勝1分で首位通過。

 

決勝トーナメントは1回戦で初出場のソ連に2-0と勝利し、準決勝も強豪の西ドイツに3-1と勝利して、地元ファンの期待通り決勝まで勝ち進みます。

 

決勝の相手は王国ブラジル。

 

スウェーデンは前半開始4分に早々と先制。この時がスウェーデンにとって最もW杯優勝に近付いた瞬間と言っていいでしょう。

 

しかしこの大会のブラジルは当時17歳だったペレが完全覚醒した大会でした。

 

ペレが攻撃の中心となったブラジルは前半のうちに逆転に成功。

 

そしてペレ自身も後半に追撃の2ゴールを決め、最終的にはブラジルが5-2で勝利。

 

もしスウェーデンが優勝できていれば、世界のサッカー史にスウェーデンの名が燦々と輝くことになったでしょう。

 

しかしこの大会はペレの覚醒により、ペレのための大会として人々に記憶されることとなるのでした。

 

スウェーデンはその後、1962年と1966年は大陸予選で敗退。低迷期に入ります。

 

次の優勝チャンスは約40年後。もう完全に古豪というイメージのついて迎えた1994年アメリカW杯でした。

 

その2年前の自国開催となったEUROで中心選手、トマス・ブロリンを中心にベスト4へ進出。

 

そしてそのチームに若手のヘンリク・ラーションがエースとして加わり、本大会に臨みます。

 

酷暑の中での大会ながら予選リーグでロシアに勝利、ブラジルとカメルーンに引き分けの勝ち点5で2位通過。

 

決勝トーナメントではサイード・オワイランの活躍で決勝トーナメント進出という躍進を果たしたサウジアラビアを3-1で撃破。

 

そして準々決勝ではルーマニアとPK戦までもつれ込む激闘を制し、ベスト4まで進出します。

 

しかし準決勝では今大会優勝国となるブラジルに0-1で惜敗し、3位決定戦へ。

 

3位決定戦ではブルガリアに4-0と勝利して、1958年大会の準優勝以来の決勝トーナメント進出ながら3位と躍進しました。

 

その後、1998年のフランスW杯は出場を逃したものの、2000年代に入るとラーションに加えてイブラヒモビッチ、ユングベリら強力な攻撃陣が加わります。

 

2002年日韓W杯ではアルゼンチン、イングランドと同組という死の組に入りながらも決勝トーナメント進出を果たし、優勝候補と言われたアルゼンチンを敗退に追い込みます。

 

さらに2004年のEUROでベスト8、2006年のドイツW杯でも決勝トーナメント進出と安定した強さを維持していました。

 

しかし2010年代に入ると低迷し、W杯は2010年、2014年と出場を逃し、2016年EUROでもグループリーグ敗退となり、エースのイブラヒモビッチも代表引退。

 

それでも2015年のU21欧州選手権で優勝するなど次の世代が育ち、2018年のロシアW杯ではベスト8に進出するなど、再び強豪国の仲間入りをしようと虎視眈々と狙っています。

 

 

 

 

 

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