W杯を振り返るシリーズ11 第11回アルゼンチンFIFAワールドカップ 〜アルゼンチンの初優勝〜

W杯を振り返るシリーズ11 第11回アルゼンチンFIFAワールドカップ 〜アルゼンチンの初優勝〜

立候補していたのはアルゼンチン、メキシコ、コロンビアでしたが、コロンビアは辞退し、候補国はアルゼンチンとメキシコの2カ国に。

 

1970年大会の決選投票と同じになり、その時にメキシコが勝利していたために今回はメキシコが辞退。

 

アルゼンチンが無投票で開催地に選ばれました。

 

 

大会形式は前回同様に16カ国が出場する2次リーグ制。

 

また今大会から3位決定戦と決勝戦でPK戦が導入されました。

 

 

1次リーグでグループ1に入ったアルゼンチンは地元開催で初優勝を狙うチャンスでした。

 

発足したばかりの軍事政権からも国威発揚のために優勝を厳命され、監督のセサル・ルイス・メノッティは自国内の小さなクラブもこまめに周り才能を発掘。

 

代表経験のない無名の若手選手をかき集め、軍事政権の全面協力を取り付けた上で選手の海外移籍を禁じ、国内での入念な合宿を敢行して代表チームの強化を図りました。

 

そして唯一の海外プレーヤーであるエース、マリオ・ケンペスを加えてチームを完成させました。

 

 

しかし1次リーグではまだ若手プレーヤーとケンペスの連携も図られておらず、ケンペスはノーゴールと不発。

 

イタリアに次ぐ2位でかろうじて2次リーグへ進出するという状況でした。

 

グループ2は前回大会同様にポーランドが強さを見せ、1位通過。

 

西ドイツはベッケンバウアーが代表引退したこともあり、2位通過となりました。

 

 

グループ3で強さを見せたのはオーストリア。

 

スペイン、スウェーデンを立て続けに撃破し、ブラジルには敗れたものの首位通過。

 

ブラジルは今回もスウェーデン、スペインと引き分けて最終戦で2連勝のオーストリアと当たるという危ないシチュエーションでしたが、なんとか勝利して2位通過しました。

 

グループ4ではペルーが躍進。前回準優勝のオランダと同じ組に入りながらも2勝1分で首位通過を果たしました。

 

オランダはヨハン・クライフがアルゼンチン軍事政権の弾圧政策に反対する立場から出場しなかった(後に子どもの誘拐未遂事件に遭ったためだったことを明らかにした)ため大苦戦。

 

最終戦でスコットランドに敗れたものの、得失点差でかろうじて2位に入り2次リーグ進出を決めました。

 

 

2次リーグのグループAはオランダ、イタリア、西ドイツ、オーストリア。

 

1次リーグでは苦戦したオランダですが、2次リーグでは息を吹き返し、初戦のオーストリア戦で5-1と圧勝。

 

西ドイツと引き分け、イタリアとの決勝進出を賭けた最終戦に勝利して決勝へ進みました。

 

 

グループBはアルゼンチン、ブラジル、ポーランド、ペルー。

 

1次リーグでは苦戦した開催国アルゼンチンですが、その苦戦が若いチームを急成長させました。

 

さらにエース、ケンペスがついに爆発。初戦のポーランド戦で2ゴールを決めて2-0で勝利します。

 

2戦目のブラジル戦はスコアレスドローとなり、最後の3戦目。

 

得失点差でブラジルに差をつけられていたため、4点差以上でペルーに勝たなければ決勝に進めないという状況でしたが、ケンペスの2ゴールを始め、6-0と攻撃陣が大爆発して決勝に進みました。

 

しかし軍事政権がペルーを買収したという八百長の疑いも残っています。

 

得失点差でアルゼンチンを下回ったブラジルですが3位決定戦ではイタリアを破ります。

 

 

そして決勝はアルゼンチン対オランダ。

 

決勝のオランダ戦でもケンペスは絶好調で2ゴールを決め3-1で勝利。

 

見事に初優勝を果たし、監督のメノッティは軍事政権から与えられた使命を果たしました。

 

しかし、軍事政権による介入など暗い影を落としたこの大会は「ワールドカップ史上最も汚い大会」と言われることもあります。

 

 

 

 

 

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