W杯を振り返るシリーズ13 第13回 メキシコFIFAワールドカップ 〜マラドーナによるマラドーナのための大会〜
この大会は1度はコロンビアが無投票で開催国に決定したものの、大会の4年前に財政上の問題から辞退しました。
そこであらためて候補を募ったところ、メキシコ、アメリカ、カナダの3ヶ国が立候補。
ワールドカップ史上初となる満場一致の投票結果でメキシコが開催都市に選ばれました。
参加国は前回大会と同様に24ヶ国ですが、2次リーグが廃止され、各グループの1位と2位、それに3位のチームが勝ち点の多い順に4チーム、合計16チームが決勝トーナメントに進むという方式に変更されました。
この大会の顔となるアルゼンチンのマラドーナはグループリーグのイタリア戦で同点ゴールを決めるなど活躍。
グループAはアルゼンチン、イタリア、ブルガリアが突破します。
グループBはメキシコ、パラグアイ、ベルギーが通過。
グループCはソ連とフランスが通過。
グループDはブラジルとスペインが通過。
グループEはデンマーク、西ドイツ、ウルグアイが通過。
グループFはモロッコ、イングランド、ポーランドが通過してベスト16が出揃います。
ラウンド16で注目を集めたチームはやはりブラジルでした。
予選リーグも3連勝と力を見せて突破してきたブラジルは4大会連続でグループリーグを突破してきた前回大会3位のポーランドを4-0で一蹴します。
ジーコやソクラテスといった前回大会で注目を集めた黄金の中盤構成メンバーに新エースのカレカを加えた強力なチームを編成してきていました。
一方で苦戦したのは西ドイツ。格下のモロッコ相手になかなかゴールを奪えず、後半終了間際にマテウスのゴールでなんとか勝利したという試合展開でした。
ラウンド16の最注目カードとなったのはフランス対イタリア。
この試合はプラティニの先制ゴールなどの活躍で、フランスが前回王者のイタリアを2-0で破りました。
ベスト8に勝ち上がったのはメキシコ、西ドイツ、ブラジル、フランス、ベルギー、スペイン、アルゼンチン、イングランドの8カ国。
準々決勝で当初最も注目を集めていたカードはブラジル対フランスでした。
ブラジルがカレカのゴールで先制するもフランスのプラティニが同点に追い付くという両チームエースの譲らぬ展開。
最終的には1-1のままPK戦にもつれ込み、PK戦でフランスが勝利。
フランスはイタリアに続きブラジルを破りベスト4に進出します。
そして今では上記のフランス対ブラジル以上に語り継がれている伝説の試合がアルゼンチン対イングランドです。
この試合はアルゼンチンとイギリスが戦ったフォークランド紛争の4年後に行われ、因縁渦巻く中での試合でもありました。
試合は0-0のまま迎えた後半6分。かの有名なマラドーナの神の手ゴールが生まれます。
マラドーナの反則を見ていなかったチュニジア人主審のアリ・ビン・ナセルはアルゼンチンのゴールを認めます。
試合後の記者会見でマラドーナは「ゴールはマラドーナの頭が少しと神の手が少しのおかげだ」と述べ、多くの非難を浴びると共に「神の手ゴール」という有名な名称が誕生することとなりました。
そして史上最高のゴールと称されることもある世紀のゴールはそのわずか4分後に起こりました。
中盤でボールを持ったマラドーナは1人で5人をドリブルで交わしてゴールに流し込み、かの有名な5人抜きゴールが生まれました。
このゴールは2002 FIFAワールドカップ期間中にFIFAのウェブサイト上で行われた投票によってゴール・オブ・ザ・センチュリー、20世紀最高のゴールに選ばれました。
マラドーナの2ゴールでリードしたアルゼンチンは後半80分にイングランドのリネカーに1点を返されるものの逃げ切り2-1で勝利。
リネカーはこれが今大会6ゴール目となり大会得点王になるのですが、ベスト8で姿を消しました。
その他の準決勝2試合は西ドイツがメキシコ相手にまたしてもスコアレスと苦戦を強いられたものの、辛くもPK戦を制して勝ち上がり。
ベルギー対スペインもベルギーがPK戦を制して勝ち上がりました。
準決勝1試合目は西ドイツ対フランス。
ここまでイタリア、ブラジルを立て続けに破ってきたフランスでしたが、ついにここで力尽きます。
逆に苦戦続きだった西ドイツは試合開始直後と終了直前に得点を決めて2-0で完勝。決勝に進出します。
もう1試合のアルゼンチン対ベルギーは前の試合から輝き続けるマラドーナの2ゴールでアルゼンチンが2-0と勝利しました。
3位決定戦は延長戦の末、フランスが4-2でベルギーに勝利。
そして決勝はアルゼンチン対西ドイツ。メキシコ・エスタディオ・アステカで11万人を超える観客の前で行われました。
試合は打ち合いとなりますが、マラドーナのパスからホルヘ・ブルチャガが決勝点を奪いアルゼンチンが3-2で勝利。
アルゼンチンが2度目のワールドカップ優勝を果たし、マラドーナはMVPに輝きます。
こうして今大会はマラドーナのための大会と称されることになったのです。
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