W杯を振り返るシリーズ17 第17回 日韓FIFAワールドカップ 〜自国開催で初のベスト16〜

W杯を振り返るシリーズ17 第17回 日韓FIFAワールドカップ 〜自国開催で初のベスト16〜

開催国として名乗りを挙げたのは日本、韓国、メキシコの3ヶ国。

 

事実上日本と韓国の一騎討ちという情勢になりましたが、熾烈な招致合戦やFIFA内の権力闘争などの妥協の産物として初の2ヶ国共催が決定されます。

 

この日韓共催はアジアでの初のW杯開催でもありました。

 

開幕戦は韓国、決勝戦は日本となり、グループAからDまでは韓国、グループEからHまでは日本で試合が行われることとなりました。

 

 

 

グループAは前回優勝国のフランスとセネガルの開幕戦から始まりました。

 

ここでフランスのエースであったジダンが直前の韓国との練習試合で負傷したこともあり、欠場。セネガルが勝利するというサプライズから大会が始まります。

 

ジダンは3戦目のデンマーク戦で復帰したものの包帯を足に巻いたままプレーする姿は痛々しく、フランスも0-2で敗れ、前回優勝国がグループ最下位で大会を去ることとなりました。

 

デンマークとセネガルがグループリーグを突破します。

 

グループBはスペインとパラグアイが突破。前回大会グループリーグ敗退だったスペインが3連勝と強さを見せます。

 

グループCはブラジルとトルコが突破。南米予選で苦戦して前評判が高くなかったブラジルですが3連勝、得点11と攻撃力の高さで勝ち上がりました。

 

グループDは韓国とアメリカが突破。グループリーグ最終戦の韓国とポルトガルの対戦では不可解な判定でポルトガルに退場者が二人出てフィーゴ、ルイコスタらを擁して黄金世代と呼ばれたポルトガルがここで敗退となりました。

 

この大会は後々まで韓国による八百長疑惑が尾を引くことになるのですが、このポルトガル戦はその序章に過ぎませんでした。

 

 

 

グループEはドイツとアイルランドが突破。大分県中津江村に到着が遅れたことで話題となったカメルーン代表は3位で敗退しました。

 

グループFはアルゼンチン、イングランド、スウェーデン、ナイジェリアが同組となり、死の組と呼ばれました。

 

天王山となったのがアルゼンチンとイングランドの直接対決。

 

前回大会でシメオネへの報復で一発退場となり戦犯とされたベッカムがPKを決めるという雪辱を果たし、イングランドが勝利。

 

優勝候補と言われたアルゼンチンがグループリーグで敗退となりました。

 

グループGはメキシコとイタリアが突破。

 

グループHは日本が2勝1分で初の決勝トーナメント進出。ベルギーが2位で通過しました。

 

 

 

ラウンド16を勝ち上がったのはドイツ、アメリカ、スペイン、韓国、イングランド、ブラジル、セネガル、トルコ。

 

日本はトルコと対戦し1-0で敗戦。コーナーキック1発に沈む結果となってしまいましたが、予選リーグからスタメンやフォーメーションを急遽変えたトルシエ監督の采配に疑問符が残る残念な敗戦でした。

 

物議を醸したのが韓国対イタリア。

 

試合開始直後に韓国にPKが与えられたところから始まり、度重なる韓国のラフプレーにもカードはおろかファイルも取らないという韓国寄りの判定が繰り返されました。

 

極めつけは延長13分にトッティが倒れたプレーが明らかに足がかかっていたにも関わらずシミュレーションと判定され、2枚目のイエローカードを受けて退場。

 

さらに延長20分にはイタリアが決めた得点が不可解なオフサイド判定により取り消され、その後に韓国がゴールデンゴールを決めて勝利。

 

この判定に対し、トッティは「審判を変えて最初からワールドカップをやり直すべきだ」と不満をあらわにし、大会後にFIFAはモレノ主審を国際審判リストから除名。

 

モレノ主審はエクアドルリーグでも誤審により20試合の資格停止を受け、この大会の翌年に審判を引退。

 

さらにその後ヘロイン6kgの密輸により米国で逮捕されるという結末を迎えました。

 

 

 

そして準々決勝の韓国対スペインでも同じように誤審疑惑が起こりました。

 

エジプト人のガマル・ガンドゥールが主審を務めましたが、48分にスペインの得点が何のファウルかもわからないファウルの判定により取り消されます。

 

さらに延長2分にスペインが決めたゴールもその直前のセンタリングがゴールラインを割っていたとの判定で取り消し(実際は割っていなかった)。

 

2点を取り消されたスペインはPK戦で敗れ去ったのでした。

 

誤審がいずれもホスト国韓国が有利になる判定だったこと、審判が途上国の審判だったことなどから、事態を重く見たFIFAは中立の大陸から審判を起用するという慣例を放棄。

 

準決勝以降の試合を全て欧州出身の審判に任せることを決めました。その結果準決勝以降は大きな問題となる誤審などは起きませんでした。

 

 

 

その他の準々決勝で注目されたのはブラジルとイングランドの優勝候補対決。

 

オーウェンのゴールでイングランドが先制するも、リバウドとロナウジーニョのゴールでブラジルが逆転勝利しました。

 

ドイツ対アメリカは1-0でドイツ勝利、トルコ対セネガルは1-0でトルコが勝利し、ベスト4が出揃いました。

 

準決勝のドイツ対韓国は1-0で勝利。ここまでポルトガル、イタリア、スペインを不可解な判定で破ってきた韓国もここで止まりました。

 

もう1試合のブラジル対トルコはブラジルが1-0で順当に勝利。

 

こうして前評判の高く無かったブラジルとドイツが決勝で当たることとなりました。

 

3位決定戦はトルコが3-2で勝利し、迎えた翌日の決勝。

 

 

 

ここまで攻撃力の高さで勝ち上がってきたブラジルとここまで6試合で1失点とGKのオリバーカーンを中心に抜群の守備力で勝ち上がってきたドイツとの対戦になりました。

 

前半はカーンを中心にドイツが守って0-0で折り返しますが、後半にカーンが接触プレーにより手の靱帯を負傷。

 

この怪我の影響もありリバウドのシュートをキャッチしきれずにファンブルするとロナウドに押し込まれ、ブラジルが先制。

 

さらにロナウドが追加点を奪い、2-0でブラジルが勝利したのでした。

 

前回大会では決勝の日に急遽発作を起こして絶不調になったロナウドですが、今大会は8ゴールを決めて得点王にも輝くと見事リベンジを達成しました。

 

 

 

 

 

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