W杯を振り返るシリーズ18 第18回 ドイツFIFAワールドカップ 〜波乱の少ない順風な大会〜

W杯を振り返るシリーズ18 第18回 ドイツFIFAワールドカップ 〜波乱の少ない順風な大会〜

開催国として名乗りを挙げたのはドイツ、イングランド、ブラジル、モロッコ、南アフリカの5ヶ国。

 

ブラジルが辞退し4ヶ国で投票が行われました。

 

そしてドイツと南アフリカの決選投票の末にわずか1票差でドイツが開催国に選ばれました。

 

この決定については投票直前にニュージーランドのチャールズ・デンプシー理事が棄権したこともあり、様々な憶測がなされています。

 

 

 

本大会出場国は32ヶ国と前回同様ですが、今大会から前回優勝国の予選免除も廃止となり、前回優勝国のブラジルも南米予選からの参加となりました。

 

グループAはドイツ、エクアドル、ポーランド、コスタリカと開催国ドイツにとって緩い組になりました。ドイツが3連勝で通過し、エクアドルが2位で通過します。

 

グループBはイングランドとスウェーデンが突破。

 

グループCはアルゼンチン、オランダ、コートジボワール、セルビアモンテネグロが同居し、死の組と言われました。

 

しかし波乱は起こらず、アルゼンチンとオランダが共に勝ち点7で着実に通過します。

 

グループDはポルトガルとメキシコが突破。

 

グループEもイタリア、チェコ、ガーナ、アメリカが同居する死の組と言われました。

 

イタリアとガーナが突破し、ネドベドやロシツキー、コラー、バロシュらを擁して優勝候補の一角と呼ばれたチェコはグループリーグで敗退しました。

 

グループFは日本が入った組ですが、初戦のオーストラリア戦で試合終盤までリードを続けるも、立て続けに3点を叩き込まれ、1-3で敗戦。

 

悪夢の逆転負けと言われました。

 

2戦目のクロアチア戦も川口能活がPKをストップするなど見せ場はあったものの0-0とスコアレスドロー。

 

柳沢敦がフリーでゴールチャンスを逃し、「急にボールが来たので」と発言したことで、QBKという単語がネット界隈で話題になりました。

 

3戦目のブラジル戦も玉田圭司が素晴らしい先制ゴールを決めるも1-4で逆転負け。

 

日本は1分2敗という結果で敗退。ブラジルとオーストラリアが突破しました。

 

グループGは強豪フランスを抑えて、スイスが首位通過。フランスは2位となります。

 

グループHはスペインとウクライナが通過。グループリーグは全体的に順当な結果に収まりました。

 

 

 

ラウンド16を勝ち上がったのはドイツ、アルゼンチン、イタリア、ウクライナ、イングランド、ポルトガル、ブラジル、フランスの8ヶ国。

 

このラウンドもほぼほぼ順当な勝ち上がりとなりました。

 

強豪国同士の直接対決として注目されたポルトガル対オランダは1-0でポルトガルが勝利。

 

フランス対スペインは3-1でフランスが勝利しました。

 

準々決勝1試合目はドイツとアルゼンチンの強豪対決。PK戦までもつれ込む接戦を制して、開催国ドイツがベスト4に進出します。

 

準々決勝2試合目はイタリアが3-0でウクライナに快勝。エースのシェフチェンコを擁して初出場ながらベスト8まで残ったウクライナですがここで敗退となりました。

 

準々決勝3試合目はイングランド対ポルトガル。0-0のままPK戦となりポルトガルが勝利しました。

 

準々決勝4試合目はフランスがアンリのゴールを守り切り、ブラジルに1-0で勝利。

 

ロナウド、ロナウジーニョ、リバウド、アドリアーノ、ロビーニョといった破壊的な攻撃陣を誇り、優勝候補筆頭と言われていたブラジルですが、ここで敗退しました。

 

 

 

準決勝1試合目はドイツ対イタリア。

 

この試合も0-0のまま延長にもつれ込む接戦となりましたが、延長後半終了間際にイタリアが2ゴールを決めて、開催国のドイツを沈めました。

 

準々決勝2試合目はフランス対ポルトガル。ジダンのPKを守り切ったフランスが1-0で決勝へ進みました。

 

3位決定戦に回った開催国のドイツですが、ポルトガルを3-1で破って3位を確保し、開催国として面目を保ちました。

 

エースのクローゼは5ゴールで得点王を獲得しました。

 

 

 

そして決勝はイタリア対フランス。

 

フランスのジダンは開幕前にこの大会を最後に現役引退することを表明しており、ジダンにとって現役最後の試合でもありました。

 

序盤に両チームが1点ずつ取り合った後は膠着の試合が続き、1-1のまま延長戦へ。

 

すると延長後半5分に事件が起きます。

 

イタリアのマテラッツィがフランスのジダンに詰め寄り、ユニフォームの胸ぐらをつかんで二言三言暴言を吐くと、これに激昂したジダンがマテラッツィに頭突きを浴びせます。

 

この行為によりジダンは一発退場となって極めて不本意な形で現役最後の試合のピッチを去ることとなり、フランスは一人少ない戦いを強いられることとなりました。

 

マテラッツィが何を言ったのかについては試合後も様々な憶測が飛び交い、物議を醸しました。

 

そしてこのような事件もありながら、MVPは準決勝までの活躍で決められることとなるため、ジダンが大会MVPを獲得することとなります。

 

試合は最終的にPK戦までもつれ込み、5人全員が決めたイタリアが勝利。

 

1982年スペイン大会以来6大会ぶり4度目の優勝となりました。

 

 

 

 

 

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