W杯を振り返るシリーズ8 1966年第8回 イングランドFIFAワールドカップ 〜イングランドの初優勝〜

W杯を振り返るシリーズ8 1966年第8回 イングランドFIFAワールドカップ 〜イングランドの初優勝〜

イングランド、西ドイツ、スペインが大会誘致に立候補し、サッカーの母国、イングランドが初の開催国となりました。

 

今回も出場国は16カ国でグループリーグも前回同様のレギュレーションで行われました。

 

グループ1に入った開催国のイングランドはGKのゴードン・バンクスやDFのボビー・ムーア、ジャッキー・チャールトンの活躍があり、無失点でグループリーグを通過。

 

また同じ組で3位になって敗退したメキシコですが、GKのアントニオ・カルバハルが5大会連続出場というW杯記録を打ち立てています。

 

グループ2は西ドイツとアルゼンチンが順当に突破。西ドイツは当時20歳だったベッケンバウアーがW杯デビューを果たし、早速4ゴールを挙げる活躍を見せています。

 

グループ3では2連覇中の王国ブラジルがポルトガル、ハンガリーに敗れて3位となり、まさかのグループリーグ敗退。

 

前回優勝国がグループリーグで敗退するという結果はW杯史上初の出来事でした。

 

なおこの時のブラジルの対戦国はブラジルのエース、ガリンシャを抑えるために悪質なファウルを繰り返し、次回大会からレッドカード、イエローカード制が導入されるきっかけとなりました。

 

 

 

グループ4では初出場の北朝鮮が番狂わせを起こします。

 

全く情報が無かった北朝鮮でしたが、東欧の社会主義国と親善試合を繰り返し、着実に強化されていました。

 

豊富な運動量を武器に戦い、初戦のソ連には0-3で敗れたものの、2戦目のチリ戦は1-1で引き分け。

 

そして3戦目のイタリアを1-0で破り、W杯史上最大級の番狂わせと言われます。

 

ソ連と共にグループリーグを突破し、アジア勢にとってのW杯初勝利であり、初の決勝トーナメント進出となりました。

 

 

決勝トーナメントに勝ち進んだ北朝鮮は準々決勝でもポルトガル相手に早々と3点を先制し、快進撃は続くかとも思われました。

 

しかし「黒豹」という愛称で呼ばれ、爆発的なスピードと身体能力を武器に今大会得点王に輝くことになるエウゼビオが大活躍。

 

一人で4点を奪って試合をひっくり返し、5-3でポルトガルが勝利。北朝鮮の快進撃はここで終わりました。

 

 

 

開催国イングランドは1-0でアルゼンチンに勝利し、4試合連続無失点で準決勝に勝ち上がり。

 

ソ連は「黒蜘蛛」という愛称で呼ばれたGK、レフヤシンがハンガリーを1点に抑え、2-1で準決勝へ。

 

西ドイツはウルグアイに4-0で圧勝し、ベスト4が出揃いました。

 

 

 

準決勝ではイングランドがボビー・チャールトンの2ゴールにより、ポルトガルに勝利。

 

エウゼビオにPKを決められたことで今大会の無失点記録は止まりましたが、決勝に進出します。

 

もう1試合の準決勝は西ドイツがベッケンバウアーの決勝点により2-1で勝利しました。

 

 

 

決勝はイングランド対西ドイツ。聖地ウェンブリースタジアムで行われ、観客は97000人に達しました。

 

試合は白熱した展開となり、2-2のまま延長戦へ。

 

そして延長前半10分。イングランドのジェフ・ハーストが放ったシュートがクロスバーに当たり、ほぼ真下に落下した後、西ドイツの選手がクリア。

 

これを主審、副審がゴールと判定し、イングランドがリードしました。

 

西ドイツは猛抗議を行うも判定は覆らず、この判定は大会後も長年議論の遡上に登り続けました。

 

1995年にオックスフォード大学の研究者が、当時最新のコンピュータを用いた解析を行い、ボールは線上にあり、得点は認められるべきではなかったと発表しましたが、主審の判断が尊重されるため現在でも公式に得点として認められています。

 

さらにハーストは終了間際にもゴールを決め、W杯史上唯一となる決勝でのハットトリックを達成。

 

4-2でイングランドが勝利しました。

 

 

 

また3位決定戦は2-1でポルトガルがソ連に勝利。

 

エウゼビオはこの試合でもゴールを決め、大会9ゴールで得点王に輝きました。

 

なお今大会の大会中に当時の優勝トロフィーであったジュール・リメ・カップが盗まれるという事件が発生。

 

たまたま飼い主に連れられて散歩をしていたピクルスという名の犬によって発見されるという出来事がありました。

 

 

 

 

 

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