私は川口能活が好きだった -川口能活選手引退に寄せて-

私は川口能活が好きだった -川口能活選手引退に寄せて-

先日川口能活選手が引退を発表した。

 

私は川口能活選手が大好きだった。

 

 

1986年生まれの私の最も古いサッカー観戦の記憶は1995年のアトランタ五輪予選、日本対サウジアラビアの試合になる。

 

その時の私は9歳、小学校3年生くらいだったと思う。

 

そんな私が記憶に残る中で初めて観たサッカーの試合で川口能活はファインセーブを連発し、2−1でサウジアラビアに勝利。

 

28年ぶりの五輪出場権を獲得した。

 

 

マイアミの奇跡を演出

 

そして翌年のアトランタ五輪本戦。

 

初戦のブラジル戦。

 

ロナウド、リバウド、アウダイール、ベベト、ロベルトカルロスという超豪華メンバーを揃えたブラジル代表に対して、当時まだW杯に出場したこともない日本が相対する。

 

監督の西野朗氏はスカウティングの段階で二桁失点も覚悟したという。

 

 

そんなブラジル代表相手に日本は勝った。

 

俗に言うマイアミの奇跡である。

 

そのマイアミの奇跡を演出したのが、ブラジルの猛攻をことごとく防ぎ、無失点で守り切った川口能活だった。

 

 

当時小学生だった私は毎日のように昼休みにサッカーをやっていた。

 

そして川口選手がきっかけで、キーパーの競争率も高かった。

 

そしてキーパーをやることになった日は誰もが川口に憧れ、彼のようなファインセーブを頭に描きながらプレーしていた。

 

かっこいいファインセーブを連発する川口選手は小学生の自分にとってヒーローだった。

 

 

しかしアトランタ五輪ではブラジルに勝ったものの、2戦目のナイジェリア戦でチームが内部崩壊。

 

ここで0−2で敗れたことで、最終戦ハンガリーに3−2で勝利するも得失点差で敗退することとなった。

 

その経緯については金子竜彦氏の名著、28年目のハーフタイムに書かれているので、機会があれば是非お読みいただきたい。

 

 

 

川口能活と楢崎正剛

 

その後、アトランタ五輪の翌年のフランスW杯アジア最終予選でも全試合に出場。

 

ジョホールバルの歓喜でW杯初出場を決めた時も川口はスタメンだった。

 

そしてフランスW杯本戦にも全試合先発出場するなど常に日本サッカーの歴史を作ってきた。

 

 

しかしトルシエジャパンになると楢崎正剛の台頭により、徐々に代表のスタメンから外れることも増えてくる。

 

長年日本代表でスタメンを争った楢崎は川口の選手生活を語る上で、絶対に欠かすことができない。

 

 

川口能活と楢崎正剛。

 

どちらが優れたキーパーかというのはサッカーファンの間で語り続けられている話題である。

 

どちらも素晴らしいキーパーなのでどちらが上と私が結論を出すことはできない。

 

ただ私が言えることがあるとすれば、「私は川口の方が好きだった」

 

 

アジアカップ二連覇に貢献

 

そんな中、スタメンを奪還した2000年アジアカップ。

 

AFCが「アジアカップ史上最強のチーム」と称したチームでスタメンを務めたのも川口だった。

 

そして決勝のサウジアラビア戦では、私が初めてサッカーを観たアトランタ五輪サウジアラビア戦を思い出させるようなファインセーブを連発し、完封勝利で日本の優勝に貢献した。

 

 

2002年日韓W杯では楢崎にスタメンを奪われるものの、ジーコジャパンになると再びスタメンに復帰。

 

2004年アジアカップではスタメンとしてアジアカップ2連覇に貢献。

 

中でも準々決勝のヨルダン戦のPK戦は「神が降りた」と言われるほど鬼神のごとくPKをストップした。

 

 

日本の中村俊輔と三都主アレサンドロという二人のレフティーが連続して足を滑らせて失敗。

 

ここで主将の宮本恒靖が主審にコートチェンジを要求し、それが認められる(余談だが二人連続失敗し、コートチェンジもするという状況の中で三人目としてきっちり決めた福西崇史の冷静さもとてもかっこよかった)。

 

しかしヨルダンは三人連続で成功。

 

「ここで川口が2回連続でPKを止めなければ日本の負け」という場面まで追い込まれる。

 

 

誰もが負けを覚悟した場面。

 

普通に考えてPKを2回連続で止めるなんて早々できるものではない。

 

しかし川口はそれをやってのけた。

 

 

が・・・これで同点に追いついたのも束の間。

 

六人目の中澤佑二が外し、再び川口が止めなければ負け、という場面が訪れる。

 

ここで三度川口が奇跡のセービングを見せた。

 

「凄い川口!まさに守護神!」という興奮したアナウンサーの名実況。

 

 

そして七人目の宮本恒靖が成功させ、ヨルダンの七人目が失敗して日本の勝利が決まった。

 

「ここで川口がPKを止めなければ負け」という局面を3度も凌ぎきった凄さ。

 

その試合のyoutube動画をリンクしているので、この試合は特に観ていただきたい。

 

2000年〜2004年のアジアカップ振り返り動画はこちら

 

 

ドイツW杯から南アフリカW杯まで

 

そんな期待されたジーコジャパンだが2006年のドイツW杯は1分2敗と惨敗。

 

後半39分までリードしながら、残り6分で3点を叩き込まれて負けたカウザースラウテルンの悲劇は日本サッカー史においてドーハの悲劇と並ぶほどの衝撃的な敗戦だった。

 

しかし川口能活は2戦目のクロアチア戦でPKをストップするなど活躍を見せる。

 

 

その翌年、2007年アジアカップ。

 

川口にとっての3度目のアジアカップ。

 

そして決勝トーナメント初戦の相手はオーストラリア。

 

前年のカウザースラウテルンでの借りを返す絶好の機会。

 

PKまでもつれ込んだこの試合で、オーストラリアの選手を二人連続で止めて勝利に貢献したのもやはり川口だった。

 

そのPKの動画はこちら

 

 

2006年の衝撃的な敗戦に続き、アジアカップでもオーストラリアに負けていたら、日本はオーストラリアに対して苦手意識を持つことになってしまっただろう。

 

オーストラリアにとっては日本を完全に格下と位置付けることになっていただろう。

 

一度格付けが済んでしまうと、それを覆すには10年単位で時間がかかる。

 

いわば川口は10年先の日本まで救ったと言っても過言ではない。

 

 

2007年アジアカップ自体は準決勝で敗れてしまったが、「ドイツW杯で負けたオーストラリアに勝った」ということは本当に大きなことであった。

 

 

その後は川島永嗣の台頭により、代表のスタメンからは外されるようになるが、2010年の南アフリカW杯はチームのまとめ役という立場で代表入り。

 

本田圭佑や長友佑都といった新時代のスターの活躍を屋台骨として支え、16強進出に貢献。

 

 

2010年W杯を最後に代表を去ることになったが、1997年のアトランタ五輪予選から2010年の南アフリカW杯まで約13年間。

 

川口能活が日本代表に残した功績は計り知れないし、彼がいなければ今の日本代表は無かっただろうというのも断言できる。

 

私にとってはいつまでも日本史上最高のゴールキーパーです。

 

本当にお疲れ様でした。

 

 

 

 

 

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