日本代表W杯予選激闘の歴史4 2006年ドイツW杯予選
これまでの日本代表のW杯予選の歴史を振り返るシリーズ。
第4回目は2006年ドイツW杯アジア予選を振り返っていきます。
1998年フランスW杯で初出場を果たし、自国開催となった2002年日韓W杯ではベスト16へ進出。
着実に結果を残しつつあった日本が新監督として迎えたのは、Jリーグ発足当初から日本サッカー界に貢献してくれていたレジェンド、ジーコでした。
中村俊輔をチームの中心に据え、中田英寿、小野伸二、稲本潤一というスター4人を中盤に並べる黄金の中盤をいきなり実現させるなど固いサッカーだったトルシエと違いファンをワクワクさせるようなチーム作りをしていきました。
成績は良い時と悪い時のブレが大きかったですが、アウェーで強豪のチェコを撃破したり、アジアカップで苦闘の末に勝ち上がって連覇を達成するなど、期待感も大いにあった中でW杯予選を迎えました。
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日本は2次予選からの出場となり、2次予選はオマーン、インド、シンガポールと同組。
1位のみが最終予選進出ということで最大のライバルであるオマーンに勝つというのが最大のポイントでした。
そんな中で迎えた初戦はいきなりホームでのオマーン戦。
絶対に勝ち点3を取りたい試合でしたが、エースの中村俊輔のPKがオマーンのキーパー、アルハブシに止められるなど終了間際までスコアレスドローで試合が続いていきました。
しかし試合終了間際のラストチャンス、蹴り込まれたロングボールを相手のDFが跳ね返したのが中村俊輔の足に当たり、たまたまゴール前にいた久保竜彦の前にこぼれてくるという幸運が訪れました。
これを久保がきっちりと決めきり、1−0で勝利。これ以降、ジーコはたびたび強運の持ち主などと言われることになります。
2次予選はその後5連勝し、全勝で1位通過を果たします。
そして進んだ最終予選。同組はイラン、バーレーン、北朝鮮で4チーム中2位までが出場決定というレギュレーションでした。
初戦で日本はグループの中で最も力が劣ると見られていた北朝鮮とホームで当たります。
絶対勝ち点3を取りたい試合で、首尾良く小笠原満男の直接FKで先制。
しかし後半に相手のクロスの上げ損ないがそのままゴールに吸い込まれてしまう不運なゴールで同点に追い付かれ、またも同点のまま試合終盤へ。
そして後半アディショナルタイム。2次予選のオマーン戦と全く同じような展開で、今後は大黒将志が値千金の勝ち越しゴールを決めます。
ジーコの強運は継続し、大黒は神様仏様大黒様などと呼ばれ、この先も大切な場面で貴重なゴールを積み重ねていきます。
2戦目は最大のライバルのイラン相手のアウェー戦。
観客11万人と大アウェーのアザディスタジアムで日本は健闘しましたがハシェミアンに2ゴールを決められて1−2で敗戦してしまいます。
1勝1敗という状況で迎えた3戦目はホームでバーレーン戦。
前節イランに負けた日本はこの時点で勝ち点3。
対するバーレーンは初戦ホームでイランと引き分け、2戦目アウェーで北朝鮮に勝利し勝ち点4と着実に勝ち点を積み重ねていました。
ここで勝てなければ3位プレーオフ行きが現実味を帯びてくるというところでまたも日本に幸運が訪れました。
0−0のまま試合が推移し、いよいよ苦しくなってきた後半72分。
バーレーンゴール前の混戦でバーレーンのエースでもありキャプテンでもありバーレーン史上最高の選手と呼ばれるサルミーンがゴールラインにクリアしようとしたボールを蹴り損ない、バーレーンゴールに吸い込まれます。
相手のエースによるオウンゴールという形で貴重な先制点を上げ、1−0で勝利。
結果的にこのサルミーンのオウンゴールがこの予選全体を通して日本とバーレーンの命運を分けたと言って良いでしょう。
バーレーンのアウェーに乗り込んだ4戦目も1−0で勝利して、この時点でバーレーンとの勝ち点差を5に広げます。
5戦目の北朝鮮に勝利すれば出場が決定するというところまで来ました。
北朝鮮は自国開催の試合でサポーターが問題を起こしたということがあり、この試合は第3国無観客試合ということになりました。
コロナ禍の今でこそ無観客試合は珍しく無くなりましたが、当時は無観客試合というのは異様な雰囲気でした。
バンコクで行われた無観客試合。しかし無観客試合のはずなのにどこからか日本コールが聞こえてきます。
バンコクまで駆けつけた熱烈な日本人サポーターがスタジアムの外から応援を送り続けていたのです。
67分に柳沢敦のゴールで先制すると、89分に勝利を決定付けるゴールを決めたのはまたしても大黒将志。
2−0で勝利し、W杯出場を決めました。
この試合は過去2回の予選のドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜と対比させ、沈黙の歓喜バンコクなどと呼ばれたりしました。
それでは今回の記事も最後にこの出場を決めた時に登録されていたメンバーの今を紹介して締めようと思います(2022年3月時点)。
川口能活:ナショナルトレーニングセンターのGKコーチに就任。
楢ア正剛:JFAトレセンコーチに就任。名古屋グランパスの「クラブスペシャルフェロー」、「アカデミーダイレクター補佐」、「アカデミーGKコーチ」とも兼任。
土肥洋一:J2のレノファ山口FCトップチームGKコーチに就任。
田中誠:ジュビロ磐田のトップチームのコーチに就任。
宮本恒靖:2021年からガンバ大阪の監督に就任するもシーズン途中に解任。Jリーグ非常勤理事としても活動中。
中田浩二:鹿島のクラブスタッフとしてクラブ・リレーションズ・オフィサー(C.R.O)に就任。テレビ朝日「やべっちFC」のレギュラーコメンテーターを務めつつ、2018年4月には筑波大学の大学院へ進学。
中澤佑二:解説者、タレント活動などで活躍中。また日本体育大学の女子ラクロス部で指導を行っている。
茶野隆行:新潟医療福祉大学男子サッカー部のコーチに就任。
坪井慶介:タレントに転身し、温泉ソムリエとしても活動中。
加地亮:ヘアエステサロン「cazi」やレストラン「CAZIカフェ」を経営。
三浦淳宏:J1のヴィッセル神戸の監督に就任するも本日解任が発表された。
三都主アレサンドロ:ブラジルに帰国し「INSTITUTO ALEX SANTOS」というスポーツを通じて子どもが育つようにサポートをする機構・団体を立ち上げた。
福西崇史:「サッカースクールSKY」での指導を行っている。
小笠原満男:鹿島のアカデミーのテクニカル・アドバイザーに就任。
稲本潤一:関東サッカーリーグ1部・南葛SCにて現役続行中。
遠藤保仁:J2のジュビロ磐田で現役続行中。
本山雅志:マレーシア・プレミアリーグのクランタン・ユナイテッドFCで現役続行中。
中村俊輔:J2の横浜FCで現役続行中。
中田英寿:実業家として活躍中。自ら設立した株式会社JAPAN CRAFT SAKE COMPANYで代表取締役を務めている。
鈴木隆行:サッカー指導者、サッカー解説者として活動。2018年にJFA公認S級コーチを取得。
柳沢敦:鹿島アントラーズユースの監督に就任。
大黒将志:ガンバ大阪のアカデミーコーチに就任。
玉田圭司:V・ファーレン長崎のクラブアンバサダー兼アカデミーロールモデルコーチに就任。
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