W杯を振り返るシリーズ12 第12回 スペインFIFAワールドカップ 〜パオロ・ロッシの活躍でイタリアが優勝〜

W杯を振り返るシリーズ12 第12回 スペインFIFAワールドカップ 〜パオロ・ロッシの活躍でイタリアが優勝〜

1974年に西ドイツに開催を譲ったのと同時に1982年大会はスペイン開催ということで同じタイミングで決定しました。

 

この大会から始めてFIFAから参加国に賞金が授与されるようになります。

 

参加国も今大会から24カ国に増加し大会形式は前回同様に2次リーグ制で行われます。

 

1次リーグは4チームずつ6グループに分けられ、各グループの1位と2位が2次リーグに進出。

 

3チームずつ4グループに分けられた2次リーグで各グループの1位が決勝トーナメントに進出というレギュレーションでした。

 

 

1次リーグのグループ1はポーランドとイタリアが突破。ポーランドは3大会連続で1次リーグ首位通過と強さを見せます。

 

イタリアは3試合連続引き分けの勝ち点3。同じく3分のカメルーンと並びましたが、総得点でかろうじて突破するというギリギリの戦いでした。

 

グループ2は西ドイツとオーストリアが突破。西ドイツ対オーストリア戦では談合試合が行われ、物議を醸しました。

 

この試合は西ドイツの勝利が2点差以内ならば両チーム揃って得失点差でアルジェリアを上回り、次のラウンドに進めるという状況でした。

 

西ドイツは試合開始早々に1点を決めたことで、その後両チームはロングボールの応酬を行い、結果的に得失点差でアルジェリアが敗退。

 

この試合をきっかけに、以後のワールドカップではグループリーグ突破の可能性の有無にかかわらず、同一組の最終戦は同時刻・別会場で開催されることになります。

 

惜しくも敗退したアルジェリアですが、初戦で西ドイツを2-1で破る金星を含む2勝1敗と大会に旋風を巻き起こします。

 

 

グループ3はベルギーとアルゼンチンが突破。

 

この組ではグループ3位で敗退したハンガリーがエルサルバドルに10-1という大差で圧勝し、今でも残るチーム1試合最多得点を残しています。

 

エルサルバドルは1970年大会に続き3連敗で大会を去ることになりました。

 

グループ4はイングランドとフランスが突破。

 

この組のフランス対クウェートでは一度フランスの得点が認められた後に取り消されるという事件が起きています。

 

クウェートのファハド王子(当時)が乱入し審判に何かを告げた後に得点が取り消されたという事件で、審判の公平性を揺るがす出来事でした。

 

後日、ウクライナ人のストパール主審が一時資格停止処分を受け、ファハド王子は警告処分を受け、クウェートサッカー協会に対しては25,000スイスフランの罰金が科されました。

 

今日にも未だに残るオイルマネーによって判定がねじ曲げられるいわゆる「中東の笛」問題の先駆けとも言われています。

 

グループ5で躍進したのは北アイルランド。開催国のスペインを抑えて1位で通過します。

 

グループ6はブラジルとソ連が突破。

 

ブラジルはジーコ、ファルカン、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾと四人が「黄金の中盤」を形成し、3連勝、10得点という圧倒的な力で首位通過。

 

この時点では優勝候補の本命と言われました。

 

 

続く2次リーグ。グループAはポーランド、ソ連、ベルギーが同組。

 

1次リーグを首位で通過したポーランドが初戦のベルギー戦で3-0と快勝。

 

2戦目のソ連との試合は引き分けたものの、初戦の得失点差が効いて決勝トーナメントに進みます。

 

グループBは西ドイツ、イングランド、スペインが同組。

 

西ドイツが首位で決勝トーナメントへ進み、1次リーグから苦戦していた開催国スペインは2次リーグ未勝利で敗退してしまいます。

 

また3大会ぶりの出場となったイングランドですが、1次リーグ全勝、2次リーグでも2試合を無失点に抑えながら2分で敗退。

 

無敗のまま大会を去ることとなりました。

 

 

グループCはブラジル、イタリア、アルゼンチンが同居する激戦区。

 

ブラジルとイタリアが共にアルゼンチンに勝利して迎えたブラジル対イタリアの直接対決。

 

1次リーグから苦戦続きのイタリアに対して、ブラジルは黄金のカルテットを擁し、1次リーグから4連勝。

 

下馬評では圧倒的にブラジル有利、さらに得失点差でもブラジルが上回っており、引き分けでもブラジルが決勝トーナメントに進めるというシチュエーションでした。

 

しかしこの試合でここまでノーゴールと沈黙を続けていたイタリアのエース、パオロ・ロッシが大爆発。

 

ハットトリックを決める活躍でイタリアが3-2と勝利し、イタリアが決勝トーナメント進出を決めます。

 

この試合はブラジルサッカー界においてマラカナンの悲劇以来の悲劇ということで、サリアの悲劇と呼ばれました。

 

グループDはフランス、オーストリア、北アイルランドが同組。

 

フランスが連勝して首位通過を決め、ベスト4が出揃います。

 

この大会ではブラジルやアルゼンチンが2次リーグで敗退したことで、ベスト4全てが欧州勢で占められました。

 

 

準決勝のイタリア対ポーランドは一度火がついたロッシが止まらず、2ゴールを決めてイタリアが2-0で勝利。

 

そしてもう1試合の西ドイツ対フランスは延長までもつれ込む大激闘。

 

3-3のままPK戦に突入し、西ドイツが決勝に進みました。

 

PK戦が導入された1978年大会ではPK戦の機会はなく、今大会の西ドイツが最初のPK戦勝利チームになりました。

 

3位決定戦ではポーランドが3-2でフランスに勝利。1974年大会以来2度目の3位となりました。

 

 

そして決勝はイタリア対西ドイツ。

 

この試合でも口火を切ったのはロッシの先制点でした。

 

後半に入ってロッシの先制点から立て続けに3点を取り、勝負あり。

 

終了間際に1点を返されるものの、3-1でイタリアが3度目の優勝。

 

ブラジルと優勝回数で並び、ロッシは得点王とMVPを受賞しました。

 

 

 

 

 

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