近代五輪を振り返るシリーズ8(第30回ロンドン五輪まで)

近代五輪を振り返るシリーズ8(第30回ロンドン五輪まで)

近代五輪を第一回から振り返っていきます。

 

8回目となる今回はアテネオリンピックからロンドンオリンピックまでを振り返ります。

 

 

2004年 第28回 アテネオリンピック

 

108年ぶりにオリンピックが第1回大会開催都市のアテネに帰ってきました。

 

しかし競技施設の建設をはじめとする準備は、事前の計画より大きく遅れ、開会式当日まで間に合わず、工事が続く施設が相次ぎました。

 

さらに大会後は年間1億ユーロかかる維持費を抑制するため、ギリシャ政府は商用施設への転換を検討していましたが、施設の売却が進まないまま、経済危機を迎えてしまい、現在ファリロンのスタジアムなどは雑草が生い茂っているそうです。

 

この大会の各メダリストには、メダルの他に古代オリンピックに倣いオリーブの枝で作った葉冠が贈られました。

 

この大会では日本選手が大活躍。金メダルは16個を獲得し、東京五輪と並ぶ歴代最多。

 

総メダル獲得数でも37個で歴代最多記録を更新します。

 

 

中でも柔道では金メダル8個、銀メダル2個を獲得するなど日本柔道の強さを世界に示します。

 

野村忠宏の日本人史上初、そして柔道界史上初の三連覇を達成し、「田村でも金、谷でも金」を合言葉に谷亮子も連覇を達成。

 

内柴正人、鈴木桂治、谷本歩実、上野雅恵、阿武教子、阿武教子は初の金メダルを獲得します。

 

今大会から正式種目となった女子レスリングでも吉田沙保里と伊調馨が金メダルを獲得。

 

競泳では北島康介が2冠を達成。「超気持ちいい」という言葉が流行語になります。

 

また女子800m自由形ではダークホースの柴田亜衣が金メダルを獲得し世界を驚かせます。

 

 

陸上では女子マラソンの野口みずきと男子ハンマー投げの室伏広治が金メダルを獲得。

 

室伏は優勝したハンガリーのアドリアン・アヌシュが試合後のドーピング検査を拒否し失格となっての繰り上がり金メダルでした。

 

そして男子体操団体では28年ぶりの金メダルを獲得。

 

体操日本復活を成し遂げたこの試合は最後の鉄棒の演技での名実況も話題に。

 

「伸身の新月面が描く放物線は栄光への架け橋だ!」という実況はこの大会のNHKの大会テーマソングだった、ゆずの「栄光の架け橋」をオリンピックの定番曲という立ち位置にしました。

 

また、アーチェリーではロサンゼルスオリンピックアーチェリーで銅メダルを獲得していた山本博が銀メダルを獲得し、20年ぶりのメダル獲得と話題になります。

 

最初の銅メダルから20年を経て41歳で1つランクアップした銀メダルを獲得したことが注目され、「中年の星」と呼ばれました。

 

 

世界のアスリートに目を向けると、今大会のヒーローになったのが競泳のマイケルフェルプス。

 

一人で金メダルを6個獲得する大活躍で、水の怪物と呼ばれます。

 

陸上ではモロッコの太陽と呼ばれたヒシャム・エルゲルージが1500mにおいて3大会目の出場で悲願の金メダルを獲得。

 

中国の劉翔は男子110メートルハードルにおいて12秒91の世界タイ記録で優勝。アジア勢初のトラック競技での金メダル獲得となります。

 

男子マラソンでは、ブラジルのバンデルレイ・デ・リマが先頭だった35km地点過ぎで乱入してきた観客にコース外へ押し出されて約10秒間のタイムをロスし、大きくリズムを崩して3位となる事件が発生してしまいます。

 

国際オリンピック委員会は、スポーツマンシップを讃えるとしてデリマにピエール・ド・クーベルタン・メダルを授与しました。

 

男子バスケットボールではアメリカのドリームチームが初めて金メダルを逃す大波乱。アメリカを破った勢いで、アルゼンチンが金メダルを獲得します。

 

アルゼンチンは男子サッカーでも初優勝し、アルゼンチンの金メダルは全種目を通じて52年ぶりとなりました。

 

 

2008年 第29回 北京オリンピック

 

中国で初の開催となった北京大会。

 

アジアで夏季オリンピックが開催されるのは、1988年に韓国で開催されたソウル大会以来20年ぶり(5大会ぶり)3回目で、社会主義国で夏季オリンピックが開催されるのも1980年(昭和55年)のモスクワ大会以来となります。

 

2004年大会には大阪市も立候補していましたが、1回目の投票で敗れています。

 

アメリカのテレビ局の要求により競泳や体操などアメリカで人気の競技が午前中に行われました。

 

 

競技では陸上でウサイン・ボルトという大スターが誕生。

 

男子100mで流しながらも世界記録で優勝すると、200mでも不滅の記録と思われていた1996年アトランタ五輪のマイケル・ジョンソンの記録を上回る世界新記録で2冠達成。

 

100m・200mともに世界新記録での優勝は、オリンピック・世界選手権を通じて史上初でした(4×100mリレーでも金メダルを獲得しましたが、後にネスタ・カーターのドーピングが発覚したことでリレーの金メダルは剥奪されました)。

 

競泳では今大会も強さを見せつけたマイケル・フェルプス。

 

前人未到の8冠を成し遂げます。

 

体操では地元中国が強さを発揮。男子は跳馬以外の金メダルを独占します。

 

 

日本は金メダル7個を含む25個のメダルを獲得。

 

柔道では内柴正人、谷本歩実、上野雅恵が連覇し、新星の石井慧も金メダルを獲得。

 

3連覇を狙った谷亮子は銅メダルに終わりますが、5大会連続のメダル獲得となります。

 

女子レスリングでも吉田沙保里と伊調馨が連覇。

 

競泳では北島康介が2大会連続で2冠を達成。これは日本人選手初であり競泳界初の快挙でした。

 

試合後のインタビューでは「何も言えねえ」とまたも名言を残しています。

 

体操では団体と個人総合で銀メダルを獲得。

 

19歳で初出場して個人総合で銀メダルを獲得した内村航平は翌年以降体操界の絶対王者として君臨していくことになります。

 

フェンシングでは太田雄貴が日本初のフェンシング五輪メダルとなる銀メダルを獲得。

 

陸上では男子4×100mリレーで悲願の銅メダルを獲得。後にジャマイカのドーピング違反が発覚し、繰り上げで銀メダルとなりました。

 

日本発祥の競技であるお家芸のケイリンでは永井清史が日本に初の五輪メダルとなる銅メダルをもたらしてくれました。

 

そして次回大会から除外されることが決定していたのが野球とソフトボール。

 

そのソフトボールでは日本がライバルのアメリカを決勝で倒して見事に金メダルを獲得しました。

 

 

2012年 第30回 ロンドンオリンピック

 

ロンドンで史上初となる3度目(中止となった1944年も回次に加えるため実際は4回目)の開催となったロンドンオリンピック。

 

サッカーでは英本土4協会(イングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランド)が一体となった統一イギリス代表として初めて出場したことでも話題となりました。

 

また、これまでイスラム教の戒律に基づき、男性しか出場させていなかったサウジアラビア、カタール、ブルネイが女性選手を派遣することになり、オリンピック史上初めてすべての国・地域から女性選手が参加できる大会に。

 

またボクシングで女子種目が新たに採用され、全26競技で男女の種目が実施されます。

 

 

しかし今大会は運営上のトラブル等が相次いだ大会でもありました。

 

開会式ではインド選手団の行進の際、選手団と無関係の女性の紛れ込んで行進を行うハプニングが発生。

 

カメルーンの選手7人、ギニアの選手3人、コンゴ民主共和国の選手とコーチが大会中に行方不明に(経済的理由による亡命を目論んだと言われています)。

 

8月6日の陸上競技男子100m走決勝では、何者かがジャマイカのウサイン・ボルトに向かってボトルを投げつける事件が発生。

 

7月25日の女子サッカー1次リーグG組、コロンビア対北朝鮮戦では北朝鮮選手紹介の際、誤って韓国の国旗を電光掲示板に表示してしまうアクシデントがあり、北朝鮮側は抗議し、一時選手がピッチから引き上げる事態となりました。

 

8月1日にバドミントン女子ダブルスでは無気力試合を行ったとして、ベスト8入りした中国、インドネシア1組と韓国2組の計4ペアが失格処分となります。

 

8月1日のボクシング男子バンタム級2回戦の日本の清水聡とアゼルバイジャンのマゴメド・アブドゥルハミドフの試合では清水が6回のダウンを奪ったにも関らず、17-22で清水聡の判定負けとなります。

 

これに対し清水聡が提訴し、協議の結果判定が覆り、レフリーは追放処分となります。

 

8月10日におこなわれた男子サッカー競技3位決定戦の日本対韓国戦の試合では終了後に、韓国チームのミッドフィールダーの朴鍾佑がハングルで「ドクトヌンウリタン(独島は我々の領土)」と書かれたプラカードを掲げてサッカー場を1分間ほど駆け回るパフォーマンスを行いました。

 

IOCとFIFAの憲章と規定により、大会における出場者の政治的主張は厳重に禁止されているため、この件についてIOCとFIFAは正式な調査に入り朴鍾佑は表彰式への出席が禁止されます(メダルは剥奪されず、警告に留まる軽い処分で終わってしまいます)。

 

 

競技では陸上、競泳、体操という五輪三大競技でビッグスターが期待通りの活躍を見せます。

 

陸上ではウサイン・ボルトが男子100m、200m、4×100mリレーで3冠を達成。

 

長距離では地元イギリスのモハメド・ファラーが男子5000m、10000mで2冠を達成します。

 

競泳ではマイケル・フェルプスが4冠を達成。五輪での金メダル獲得数を18個まで伸ばします。

 

そして体操の個人総合では世界選手権で3連覇し絶対王者と呼ばれていた内村航平が圧倒的な強さで金メダルを獲得します。

 

 

日本は史上最多となる38個となるメダルを獲得します。

 

しかし金メダルは7個に終わってしまいました。

 

特に柔道の低迷は深刻で、男女通じて金メダルは松本薫の1個のみ。男子柔道で金メダル無しというのは史上初の事態でした。

 

柔道の低迷を救ったのが女子レスリングで吉田沙保里と伊調馨が3連覇し、小原日登美も金メダルを獲得。

 

村田諒太は1964年東京オリンピックのバンタム級、桜井孝雄以来48年ぶりとなるボクシングでの金メダルを獲得。

 

米満達弘は男子レスリングで24年ぶりの金メダルを獲得。この金メダルは夏季五輪通算400個目のメダルのメダルでした。

 

また卓球やバドミントンでも日本はその競技で初めての五輪メダルを獲得しています。

 

 

 

 

 

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