W杯を惜しくも優勝できなかった国シリーズ3 ポーランド

W杯を惜しくも優勝できなかった国シリーズ3 ポーランド

W杯を振り返るシリーズのスピンオフ連載ということで、W杯を惜しくも優勝できていない国について特集をしてみることとします。

 

第3回はポーランド代表を取り上げます。

 

 

 

W杯初出場は1938年の第3回フランスW杯。

 

ポーランドは逼迫する国際情勢の中での参加で、この年はナチス・ドイツ及びソ連のポーランド侵攻の前年での参加でした。

 

1回戦でブラジルと対戦し、5-6と打ち合いの末に敗れています。

 

 

 

その後は第二次世界大戦の影響もあり、戦後は長らくW杯から遠ざかっていました。

 

久々にW杯に帰ってきたのが1974年の第10回西ドイツW杯。

 

この2年前のミュンヘンオリンピックでは金メダルを獲得しており、そのチームが主体となりました。

 

欧州予選では最終戦でイングランドとアウェー、ウェンブリー・スタジアムで互いに突破をかけて激突。

 

勝てば逆転で突破を果たすイングランドを相手に先制点を挙げ、最後には1-1の引き分けで7大会ぶりの出場権を獲得します。

 

 

 

そしてポーランドは本戦でも攻撃サッカーを武器に旋風を巻き起こしました。

 

アルゼンチン、イタリアと同居する厳しい組に入りながらも初戦でアルゼンチンを3-2で撃破すると、ハイチを7-0で粉砕し、3戦目もイタリアを2-1で撃破。

 

3連勝で1位通過し、イタリアを1次リーグ敗退に追い込みます。

 

2次リーグはグループBに入り、西ドイツ、スウェーデン、ユーゴスラビアと同居。

 

スウェーデン、ユーゴスラビアに連勝し、西ドイツと2連勝同士の決勝進出を賭けた最終戦に臨みました。

 

拮抗した試合となりましたが、ベッケンバウアー率いる西ドイツが後半34分に「爆撃機」ゲルト・ミュラーの一撃で先制し、この点が決勝点に。

 

1-0で西ドイツが勝利して、1次リーグから5連勝していたポーランド旋風はここで止まりました。

 

しかし3位決定戦でポーランドはエース、グジェゴシ・ラトーのゴールにより1-0でブラジルに勝利。

 

ラトーは大会7得点を挙げ、大会得点王になり、得点ランキング2位にもオランダのヨハン・ニースケンスと並んでポーランドのアンジェイ・シャルマッフが入り、その攻撃力は大会に大きな爪痕を残しました。

 

 

続く1978年の第11回アルゼンチンW杯でもポーランドは連続出場。

 

グループリーグ初戦ではいきなり前回大会優勝国の西ドイツとの試合となります。

 

西ドイツは前回大会では2次リーグ最終節で敗れて決勝進出を逃した相手でしたが、今大会も伯仲した試合となりスコアレスドロー。

 

その後2戦目のチュニジア戦、3戦目のメキシコ戦に連勝して西ドイツを抑えて首位通過を果たします。

 

しかし2次リーグではアルゼンチンとブラジルに連敗。

 

2次リーグ3位という成績で敗退となりました。

 

 

 

さらに次の1982年の第12回スペインW杯にも出場。

 

このあたりはまさにポーランド代表の黄金期でした。

 

1次リーグではイタリア戦、カメルーン戦と連続ドロースタートでしたが、最終節のペルー戦で5-1と大勝して首位通過。

 

3大会連続で1次リーグ首位通過と強さを見せます。

 

そして2次リーグではソ連、ベルギーと同居。

 

ベルギーに3-0で大勝し、ソ連とはスコアレスドロー。

 

得失点差でソ連を上回って準決勝に進出しました。

 

準決勝の対戦相手はイタリア。

 

このイタリアは2次リーグで黄金の中盤を誇ったブラジルをパオロ・ロッシのハットトリックで下し、勢いに乗っていました。

 

準決勝のポーランド戦でもロッシの勢いは止まらず、ロッシの2ゴールにより2-0でイタリアが勝利。

 

ポーランドは3位決定戦に回りました。

 

その後の3位決定戦ではフランスに勝利。1974年大会に続く2度目の3位となりました。

 

 

 

この後は徐々に成績は下降線を辿り、1986年の第13回アルゼンチンW杯ではグループリーグを3位でかろうじて通過するも、決勝トーナメント1回戦でブラジルに0-4と大敗し、ベスト16。

 

それ以降はグループリーグ敗退や欧州予選敗退が続き、1度も決勝トーナメントへ進めず。

 

2018年のロシアW杯予選ではロベルト・レヴァンドフスキが16得点と欧州予選得点王に輝く活躍を見せ、E組1位となり本大会でもシード国となります。

 

しかしグループリーグでセネガル、コロンビアに連敗して早々とグループリーグ敗退となりました。

 

 

 

 

 

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