W杯を惜しくも優勝できなかった国シリーズ4 ポルトガル

W杯を惜しくも優勝できなかった国シリーズ4 ポルトガル

W杯を振り返るシリーズのスピンオフ連載ということで、W杯を惜しくも優勝できていない国について特集をしてみることとします。

 

第4回はポルトガル代表を取り上げます。

 

ポルトガルは元々強豪国ではなく、1934年第2回大会から1962年7回大会まで6大会連続で地区予選で敗退していました。

 

初出場を果たしたのは1966年の第8回イングランド大会。

 

黒豹と呼ばれたエース、エウゼビオを擁し、初出場にて快進撃を起こします。

 

 

グループリーグでは前回優勝国のブラジル、かつてマジックマジャールとして世界最強国の地位にあったハンガリーと同居する厳しいグループに入りながらも3連勝で通過。

 

3試合で9ゴールという攻撃力で勝ち上がり、前回優勝国のブラジルをグループリーグ敗退に追い込みます。

 

準々決勝では北朝鮮に一時0-3とリードを許すも、エウゼビオが一人で4ゴールを決めて試合をひっくり返し、5-3で勝利してベスト4へ進出。

 

しかし準決勝では開催国のイングランドに敗れ、初出場初優勝というチャンスは消えました。

 

3位決定戦でソ連に勝利し、最終成績は3位となります。

 

その後はまた地区予選敗退が続き、たまに出場できてもグループリーグ敗退と低迷期に入ります。

 

そんな状況が変わったのが1989年、1991年のFIFAワールドユースで連覇した黄金世代と呼ばれるメンバーが台頭してきてからでした。

 

ルイス・フィーゴ、マヌエル・ルイ・コスタら黄金世代のメンバーがフル代表の国際大会デビューとなった1996年のEUROでは「アコーディオン・システム」と呼ばれる中盤での頻繁なポジションチェンジとパスサッカーを駆使してベスト8へ進出。

 

その4年後の2000年EUROでもベスト4に入り、いよいよ黄金世代が全盛期となって迎える2002年日韓W杯は優勝候補として迎えることとなりました。

 

しかし1勝1敗で迎えたグループリーグ最終戦。相手は地元韓国でした。

 

この大会は韓国寄りの判定が大きな問題となった大会であり、ポルトガルも二人退場者が出るという不利な状況に追い込まれて敗戦。

 

まさかのグループリーグ敗退で終わってしまいました。

 

黄金世代はその2年後、自国開催となった2004年のEUROで決勝まで進みますが、伏兵ギリシャに敗れて準優勝と無冠のまま代表引退となりました。

 

しかし2004年EUROではクリスティアーノ・ロナウドやデコといった新世代が台頭し、世代交代が進んだ大会でもありました。

 

2006年のドイツW杯ではグループリーグを3連勝で通過すると、決勝トーナメントでもオランダ、イングランドと強豪を立て続けに撃破し、ベスト4まで進出。

 

ここの準決勝でフランスに敗れ、3位決定戦でもドイツに敗れたことで最終成績は4位という結果でした。

 

その後は2010年南アフリカW杯でベスト16、2014年ブラジルW杯ではグループリーグ敗退と結果は残せず。

 

2016年のEUROでは優勝し、主要国際大会での初タイトル獲得を成し遂げましたが、2018年ロシアW杯ではまたもベスト16で敗退。

 

2000年代以降は毎回優勝候補に挙げられる強豪国となりましたがW杯優勝には縁が遠いチームとなっています。

 

 

 

 

 

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